講演後にパリ五輪代表選手らと記念撮影をする谷亮子さん(中央)=4月30日、味の素ナショナルトレーニングセンターで
谷亮子(たに・りょうこ) 女子48キロ級で五輪は金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個。世界選手権7度優勝、全日本選抜体重別選手権は11連覇を含む14度優勝。11年、国際柔道連盟(IJF)による女子柔道の史上最優秀選手に選出された。夫は元プロ野球選手の谷佳知さん。48歳。福岡県出身。
◆五輪を特別視しないためにやること
谷さんが強調したのはメンタル面を含めた準備の大切さだった。わずか15歳で国際大会を制し注目を集めた。目標を聞かれるたび「金メダルを取りたいとはっきり言うタイプだった。言葉にして、目標に向け必要な努力の量を実感していた」と自身を奮い立たせていた。同時に不安や緊張も感じたが「それだけ真剣に(柔道に)向き合っているからだ。すごくいいことなんだ」とプラスに捉えていた。周囲の「4年に1度」と五輪を特別視する声さえ「こんなに応援してくれるんだ」と力に変えたという。パリ五輪代表らに自身の経験を伝える谷さん=4月30日、味の素ナショナルトレーニングセンターで
イメージを植え付けるため行動に移した。2000年シドニー大会前から「きょうは五輪」と本番を想定した日を数日設けた。「朝食や練習も五輪だとイメージすれば(普段と)違う。朝から夜まで徹底して『特別ではない』五輪当日が実現した」と後輩たちにも実践を勧めた。 対戦相手の研究にも抜かりはない。五輪は「自分の柔道を最後まで貫いた方が絶対に勝つ」。たとえ相手のペースになる場面があっても、すぐに自分のペースに戻すことが大切。そのため「相手に対して20~30通りの戦い方を持っておく。試合で自然に出るように練習しなくてはいけない。残りの期間で試してほしい」と助言した。◆自分で見つけた「魔物」の正体
五輪ではメダル候補があっさり敗れ「魔物がいる」と言われることがある。谷さんは「魔物はいない」と断言する。初出場の1992年バルセロナ大会で銀メダル。続く96年アトランタ大会は金メダルの最有力候補として畳に上がった。結果はまたも銀メダルとなり落ち込んだ。「魔物」という声もあがった。シドニー五輪で悲願の金メダルを獲得しガッツポーズする田村亮子=2000年9月
大会後に映像を見ると、準決勝で最大のライバルに一本勝ちし「一瞬だが優勝したように喜び、気持ちが途切れていた」と敗因が分かった。決して「魔物」ではなく気の緩み。谷さんは次のシドニー大会では「どんな場面でも集中力を切らさず、勝つという強い気持ちで臨んだ」と語り、金メダルにつなげた。◆「谷でも金」「ママでも金」だけに…「やっパリ金」
選手にとって約1時間の講演はあっという間だった。48キロ級で2004年アテネ大会の谷さん以来となる金メダルを狙う角田夏実(SBC湘南美容クリニック)は「あらためて準備が大事だと感じた。落ち込むこともあったと聞き(自分と)同じだなと、うれしくも思った」と先輩の言葉をかみしめた。52キロ級代表の阿部詩にエールを送る谷亮子さん(右)
谷さんは選手に「いろんな修羅場をくぐってきた。それは自身が築き上げた素晴らしいもの。パリ五輪も『パリでも金。やっパリ金』という感じで頑張って」と新たな名言も飛び出した。52キロ級で連覇を狙う阿部詩(パーク24)は早速「『やっパリ金』。使わせていただきます」と笑顔で受け止めた。◆「母になっても柔道はできる」に選手も興味津々
選手からは「出産しても五輪に出た。子育てとの両立は大変だったのでは」と質問が飛んだ。谷さんは「子育てをする中で柔道の幅も広げられた」と振り返った。パリ五輪代表らに自身の経験を伝える谷亮子さん
谷さんは2005年末に出産。復帰に向け長男の授乳中から練習を再開した。出産で開いた骨盤を元に戻すための運動を考え、専門家の助言を受けた。母には近くのホテルに泊まってもらい、練習の休憩時間に授乳に行く日々は「本当に大変だった」。 07年の世界選手権で優勝を果たしたとき、母になったことがもたらした変化を感じた。「いろんなことを冷静に見られる。試合でも余裕が持てるようになった。出産、子育てをしたからこそ、幅が広がった」と語った。 「これから経験をする選手が出てきたら、もっと深く伝えたい。母になっても柔道と過ごせた。やり方によっては十分できる」と後輩にエールを送った。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。