宇都宮大の中村祐司教授=宇都宮市で2021年6月23日午後7時24分、竹内良和撮影

 戦後の混乱期に始まり、今年で78回目となる国民スポーツ大会(旧国民体育大会、国スポ)が岐路を迎えている。全体の9割近くにあたる42都府県知事が何らかの見直しの必要性を指摘した毎日新聞のアンケート結果からは、スポーツ振興という大会の意義を認めつつも、負担軽減や時代に合った形への変革を求める各知事の意向が鮮明に表れた。スポーツの祭典はどうあるべきなのか。

宇都宮大・中村祐司教授(スポーツ行政学)

 戦後間もない時期に、手作りのスポーツ大会が特に精神面で人々を鼓舞したことは間違いない。ハード面で施設整備に果たしてきた役割も大きく、天皇杯と皇后杯に代表されるように国家的行事の位置づけが、皇室の来訪に対応した道路などの環境整備も促進した。

 しかし、都道府県の持ち回り開催が2巡目に入ると、自治体側の負担感が顕在化した。1巡目に整備した施設が老朽化するなか、既存施設を利用した質素な運営傾向もみられた。

 開催地は「天皇杯の獲得」という暗黙の前提や「我々のところで失敗は許されない」といった心理的負荷も抱え、期間限定の職員の採用、盛り上げに向けた大会への観客動員、実施環境が限られる冬季大会の運営などに取り組んできた。今回、各知事の指摘でこれまで無理を重ねたしわ寄せが噴出してきたと感じる。

 都道府県対抗の形式も価値はあると思うが、世界選手権や各競技の日本一を競う全国大会が開かれる中、選手の国スポへのモチベーションが高いとは言えない。多様な競技・種目を特定の期間にいっぺんに実施するというあり方そのものがもはや時代遅れだ。

 負担軽減のためのブロック開催という提案は以前からあるが、根本的な解決にはならない。担当ブロックが回るサイクルが短くなり、かえって悪影響が大きいのではないか。

 スケートボードなどの都市型スポーツが広がり、若い世代に従来のスポーツに息苦しさを感じる人もいるなど、スポーツに向き合うスタンスは変わりつつある。今後は良い意味で気軽さや質素さ、スポーツ以外の領域との連携が求められるのではないか。ただ、市場化・商業ベースが行き過ぎると、誰もがスポーツに親しむという本来の趣旨が損なわれる可能性もある。

 日本スポーツ協会も課題は認識しており、今後開催予定の検討部会での議論が大きな転換点となるだろう。【聞き手・池田真由香】

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