大相撲夏場所2日目(13日、東京・両国国技館)
○琴桜(肩すかし)熱海富士●
半世紀ぶりに本場所の土俵に「ことざくら~」の勝ち名乗りが響いた。この夏場所から第53代横綱を務めた祖父のしこ名を継いだ大関の琴桜が2日目に初日を出した。一人横綱の照ノ富士が休場し、期せずして巡ってきた結びの一番で熱海富士を土俵にはわせ、「集中して取れたと思います」と淡々と語った。
前日には同じ大関の豊昇龍に快勝した21歳を相手に落ち着いていた。立ち合いで一度突っかけたが、2度目の立ち合いで相手の出足を止めて右をのぞかせると、「体が動いた」と振り返った肩すかしが決まった。幕内2場所目だった昨年9月の秋場所で優勝決定戦に進んだ新鋭を退け、新たなしこ名での勝ち名乗りには「別に変わらないです」と表情は崩さない。
しこ名を継いだ祖父、横綱・琴桜が本場所で最後の白星を挙げたのは1974年春場所14日目だった。当時は大関だった北の湖を寄り切り、何とか勝ち越しを決めた。固太りの体形と、頭からの猛烈なぶちかましを身上とした取り口から「猛牛」の異名を取った力士人生は、既に終盤を迎えていた。翌夏場所は初日から3連敗して4日目から休場し、続く名古屋場所の直前に引退した。
ただ、ここから「名伯楽」としての親方人生が始まる。「このヤロー」など厳しい言葉が当たり前のように飛んだ。「土俵のけがは土俵で治せ」などと弟子は簡単に休ませない。ただ、そんな指導で親方在職中は大関まで務めた琴風をはじめ琴富士、琴錦、琴光喜の幕内優勝者らを育てた。
2005年11月には定年退職の直前に、部屋を娘婿だった元関脇・琴ノ若の現在の佐渡ケ嶽親方に譲る。だが、病と闘いながらも後進の育成への情熱は衰えず、千葉県松戸市の佐渡ケ嶽部屋には背もたれつきのいすにどっしりと腰掛け、つえを片手に鋭いまなざしで稽古(けいこ)を見つめる姿が度々あった。66歳で鬼籍に入ったのは07年8月のことだった。
そんな祖父に琴桜は「追いつきたいと思っている」と口にする。また、祖父より4歳若く昇進した大関の地位については「そこ(横綱)がつかめる地位に来られた」。今場所初白星ぐらいで喜色を浮かべないのも大関としての自覚だろう。
その大関陣は2日目も豊昇龍が敗れた。先場所は尊富士が110年ぶりの新入幕優勝を果たすなど「番狂わせ」を通り越した「番付崩壊」の状態が続く。
ただ、照ノ富士と貴景勝の休場にも、琴桜自身は「自分自身、やるべきことをやるだけ。人がどうこうという話ではない」。すっかり横綱土俵入りのない本場所も珍しくなくなったが、それに動じず「明日は明日でしっかり集中してやりたい」。26歳の大関は自らに言い聞かせていた。【飯山太郎】
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