第二次世界大戦末期の沖縄戦を指揮するために旧日本軍が那覇市の首里城地下に掘った第32軍司令部壕(ごう)の保存・公開を検討する沖縄県の有識者会議が19日に那覇市であった。県は、壕の入り口などを2026年度から順次公開し、30年度には壕内の一部も公開する計画を明らかにした。
壕は第32軍が地域住民らを動員して構築し、1945年3月下旬以降、牛島満司令官らが壕内で作戦を指揮した。沖縄本島に上陸した米軍が迫り、45年5月に司令部が南部に撤退するまで使われた。一部が崩落し、現在は立ち入りが禁止されている。
計画素案によると、5カ所ある壕の出入り口のうち、公開するのは第1坑口と第5坑口で、坑口の周辺を見学できるよう26年度末までに遊歩道などを整備する。最も保存状態の良い第5坑口は、坑口から約60メートル地点までの坑道内を30年度から公開する予定で、それまでの整備過程も見学できるようにする。第5坑道の直上に展示施設を建設し、施設から壕内に下りられるエレベーターの設置も計画している。県は今後、パブリックコメントを実施し、25年3月に基本計画を策定する予定。
沖縄戦を学徒として経験し、第32軍司令部壕の保存・公開を長年求めてきた瀬名波栄喜さん(96)は取材に、「具体的な時期が示されたのは大変うれしい」と期待する一方、牛島司令官らが使用した司令長官室などは安全性の確保や内部の劣化などを考慮して公開のめどが立っておらず、「沖縄戦の作戦が立てられた中枢部をなるべく早く公開してほしい」と話した。【喜屋武真之介】
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