戦後の政治報道で存在感を発揮し、「プロ野球界のドン」としても知られた渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆が19日、肺炎のため死去した。98歳。葬儀は近親者のみで営む。お別れの会を後日開く。
1926年5月東京生まれ、東大文学部哲学科卒。学生時代に共産党に入党したが、路線対立から脱党。その後は共産主義に対して一貫して否定的な立場を取った。
読売新聞社に入社後は、政治部を中心に活動。自民党の故大野伴睦元副総裁や中曽根康弘元首相との盟友関係が知られた。日韓国交正常化では、大野氏と韓国政府高官の仲介役を務めるなど、政府・与党の権力者と一体化した取材手法を取り、国交正常化の大枠を決めた62年の「金(鍾泌韓国中央情報部長)・大平(正芳外相=いずれも当時)メモ」の存在などをスクープした。半面、ロッキード事件に関与した右翼の大物、故児玉誉士夫氏との交流などが問題視されたこともある。
ワシントン特派員、政治部長、論説委員長などを経て91年に社長に就任し、政界への幅広い影響力を保ち続けた。2007年参院選で自民党の大敗後、福田康夫首相(当時)と民主党の小沢一郎代表(同)の間で話し合われた「大連立」構想では、福田氏の名代役の森喜朗元首相と小沢氏の会談に同席。構想の破談後は小沢氏への批判を強めた。
プロ野球界では96年に巨人軍オーナーに就任。パ・リーグ2球団の合併構想を機に04年に起きた球界再編問題では「1リーグ」化を主唱した。2リーグ制維持の立場から協議を求めた古田敦也選手会長(ヤクルト=当時)に対し「無礼なことを言うな。たかが選手が」と語り、「差別的だ」との批判を浴びた。
11年には巨人の清武英利球団代表(当時)がコーチ人事をめぐる渡辺氏の介入を「プロ野球の私物化」と内部告発。渡辺氏は「でたらめだ」と反論し、球団も清武氏を解任するなどの内紛が起きた。
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