福岡城の天守閣の建築と石垣に関する記述のある福岡教育大学(波多野晥三)収集資料=福岡市提供

 福岡市は10日、実在したかどうかが論争となっている、福岡城の天守閣の存在をうかがわせる新資料が見つかったと発表した。福岡城の天守閣を巡っては地元経済団体を中心に再建を求める声が上がっており、影響を与える可能性もある。

 福岡城は初代福岡藩主の黒田長政と父如水(官兵衛)が築城。1601年から7年がかりで完成させた。現在は、城跡の敷地内に天守閣の土台とみられる石垣でできた天守台は残っているものの、天守閣が実際に建てられたかどうかを示す資料は存在しない。

福岡城の天守閣の建築と石垣に関する記述が見つかった福岡教育大学(波多野晥三)収集資料=福岡市提供

 市博物館によると、新たに見つかった書状は縦15・5センチ、横47・3センチ。黒田家に近い家臣の毛利家に残されたもので、福岡教育大(福岡県宗像市)で保管されていた。1640~50年に共に黒田家の家臣だった梶原正兵衛から毛利甚兵衛に宛てたものとみられ、福岡城の石垣は「名島城の石材を再利用」、天守閣については「素人築きで石垣を築き、天守を建てた」などと記されていた。

 市博物館が福岡城の天守閣に関する資料を精査するなかで見つかったといい、中野等総館長は「福岡城の築城を直接体験した父親や祖父の世代から伝えられた情報で、非常に信ぴょう性は高い。学術的価値の高い書状だ」と語った。【竹林静】

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