歯科医院の真新しいドアが開くと、患者が入ってきた。一人、また一人。診療再開のお祝いの花が並んだ待合室に、スタッフや患者たちの明るい声が響く。
「最近は閉店や廃業の話ばかり。新しい建物ができて、診察も始まって。町に光が差したよう」
健診を受けた70代女性から笑みがこぼれた。
山あいに広がる人口1700人余りの地区の中心部に、少し古びた「広江歯科」と書かれた看板が立つ。真新しい外壁は、倒壊したまま残っている周りの建物とは対照的だ。
能登半島北部、石川県輪島市町野町地区で約40年診療を続けてきた歯科医の広江雄幸さん(72)が再び患者を受け入れたのは、12月上旬だった。
「この日をずっと目指してきた」
2023年12月以来、約11カ月ぶりの診療は、新しく導入した機器の使い方を確かめながら患者と接した。
「久しぶりの仕事で緊張した。でも、この日をずっと目指してきたので本当にうれしい」
マスク越しの笑顔には涙がにじむ。
これまでに、3度の災難に見舞われた。それらを乗り越え70代で再出発の日を迎えられたのは、住民やボランティアらの後押しがあったからだ。
広江さんの自宅は、07年3月に最大で震度6強が観測された地震で、母屋に隣接する木造2階建ての離れが全壊した。その後、跡地には新たな離れを建てた。
次に大きな被害をもたらしたのは、24年元日の地震だった。市内は最大震度7の揺れ。木造2階建ての母屋は1階部分が押し潰されるように倒壊した。広江さんと家族は離れにいて九死に一生を得たが、人生で2度目の「全壊」だった。
一方、自宅から300メートルほど離れた所にあった広江歯科も、床が落ちるなどした。被害の判定は大規模半壊。治療用の診療台は4台あったが、全て使えなくなった。
自宅と医院を同時になくした広江さんは「もうやめようか」と打ちひしがれた。
失意から救ってくれた電話
そんな失意から救ってくれたのは、患者からの電話だった。
「先生、待っとるよ」
「行く所がなくて困っとるんや」
毎日、何人もの患者から届く声に、広江さんは「ここでやめるわけにはいかんな」と気持ちが奮い立った。3月、住めなくなった母屋を解体し、跡地に新たな医院を再建することを決断した。
離れの方は幸い、前回の地震後に地盤を改良していたおかげか、地震の被害はあまりなかった。増改築や耐震補強をして住むことにした。
7月に母屋の公費解体を終え、8月からは離れの工事と並行して医院の新築工事も始まった。元の医院の3分の1ほどの広さの平屋建てだったが、地盤には7メートルのくいを61本も打ち込んだ。
残暑が続く中、工事は順調に進み、離れは内装の施工がほぼ終了した。引っ越しを間近に控えていた9月21日だった。今度は、特別警報が出されるほどの記録的な豪雨が能登半島を襲った。
自宅近くを流れていた川が氾濫し、あふれた濁流が建築中の離れと医院をのみ込んだ。
離れは床上約1・7メートルの高さまで浸水し、既に備え付けていた新品の電気給湯機やシステムキッチンなども使い物にならなくなった。完成したばかりの壁や床には隙間(すきま)から泥水が入り込み、造り直さざるを得なかった。
医院は床上まで泥水をかぶったが、診療台などを入れる前で大きな被害は免れた。
ボランティアらのおかげ
水が引いた後、建物の中や敷地内には、泥やがれき、流木の山が残された。「泥出しなどをしてくれたボランティアがいなかったら、こんなに早く再開できなかった」。予定よりは遅れたものの、医院は11月下旬に完成した。
過疎化や少子高齢化が進む能登半島北部。地震の影響もあり、地域の歯科医不足は深刻だ。町野町地区には広江歯科を含め2軒の歯科医院があったが、地震の影響もあり、1軒は12月下旬で廃業するという。
「健康には、体の『入り口』にある歯を守ることが大事。だから、町に歯医者がいることが重要なんです」と話す広江さん。「歯医者として、大好きな町に少しでも役に立つ。ここが私の居場所です」【阿部弘賢】
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