ノルウェーに到着した日本原水爆被害者団体協議会代表委員の(前列左から)田中熙巳さん、箕牧智之さん、田中重光さん=オスロ空港で8日

 ノーベル平和賞受賞の日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、米国が1945年8月に広島と長崎に投下した原爆の被害者による唯一の全国組織で、都道府県にある地方組織で構成される(現在は36地方組織)。

 戦後、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は原爆被害の報道を厳しく規制した。しかし、54年3月、米国の水爆実験で、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくした「ビキニ事件」で反核運動が活発化。56年8月に長崎市であった第2回原水爆禁止世界大会で日本被団協が結成された。「原水爆禁止運動の促進」「原水爆犠牲者の国家補償」などを掲げ、被爆体験の継承や被爆者健康手帳の申請支援も続けている。

 日本被団協の運動を受けて57年に原爆医療法が施行され、被爆者健康手帳の交付のほか、健康診断や医療を国費で受けられるようになった。68年制定の原爆特別措置法で健康管理手当などの支給が始まり、94年に両法を一本化した被爆者援護法が制定された。

 「核兵器のない世界」の実現を目指し、被爆体験の証言活動に積極的に取り組んできた。核保有国と非保有国が原則5年に1度、核軍縮を協議する核拡散防止条約(NPT)再検討会議に2005年以降、代表団を派遣。被爆者自らがスピーチするほか、会場の国連本部で原爆展を開いてきた。

 16年には核廃絶を求める署名活動「ヒバクシャ国際署名」をスタート。国内外で計約1370万筆を集めて国連に提出し、17年の核兵器禁止条約採択や21年の発効を後押しした。

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