【国頭】沖縄本島北部の豪雨災害から8日で1カ月。国頭村では20人(6日現在)が宿泊施設や村所有の住宅などで避難生活を余儀なくされている。時間がたつにつれ、不安を抱く人も少なくない。「自分たちは忘れられてしまうのだろうか」「まだ何も変わっていないのに」(北部報道部・比嘉海人)

 比地の大城洋子さん(72)は、築120年以上の木造平屋に住んでいた。11月10日早朝、氾濫した比地川の水が流れ込んだ。

 大雨が降り続く午前5時ごろ、早めに出勤しようと準備中、台所から「洋子さん!」と男性区民の声が聞こえた。ドアを開けると、濁流が瞬く間に屋内に流入。男性の力を借りて脱出し、自宅向かいの息子の家に逃げ込んだ。

 仏壇の1段目まで浸水し、「中規模半壊」と判定された。村内のホテルに避難し、15日から区内のコンテナハウスで暮らす。

 今月から村内のホテルで清掃の仕事に復帰した。仕事の時だけは「元の生活に戻った」と錯覚するが、毎日「物考え」する時間が増えたという。

 「あれもない、これもない、今後どうしようって。夜も不安で目が覚めるよ」

 被災前は、毎日午前6時15分に家を出ていた。欠かさなかった朝ご飯を、今は食べなくなった。炊事場は他の避難世帯と共同で使う。「食器類も流しも、きれいにしないといけない。朝からそんな時間もない。料理もしたいけど」とつぶやいた。

 5日、自宅の応急修理に立ち合った。業者の作業を見つめながら、繰り返し要望した。「早く住めるようにしてほしい。本当に早く帰りたいさ」

 辺土名にある村の移住体験住宅で、一家4人で避難生活を送る外間ジャネッさん(41)。11月9~10日に家は自宅1階が水没し、11日からここで生活している。

 「今までは週末に名護で1週間分の食材を買い出ししていた。ここは冷蔵庫が小さいので、買いだめできない。作る量も限られ、料理が思うようにできないのが大変」と語る。

 琉太郎ちゃん(5)、琉久ちゃん(1)の好き嫌いを考え、村からの弁当の配食は断った。「でもぜいたくは言えない。場所を提供していただいて感謝しかない」と話す。

 子どもたちが汚したり物を壊したりしたらいけないと、毎日気を使う生活。備え付けのソファはタオルを敷いて利用する。

 子どもの精神状態に注意を払う一方、自分がつらくなるときがある。先日、息子らが通う子ども園で親が対象のカウンセリングを受けた。胸中を打ち明けるうちに自然と涙があふれた。

 「自分なりに我慢していたんだと気付いた。これからどうしようって不安でいっぱいだったから」

 子どもたちの前では泣かないよう強く意識し、気を張る日々が続く。時間がたつと人々に忘れられないか、心配は尽きない。

 「1カ月たって、元の生活に戻ったように思われている。けど、私たちの生活はまだ何も変わっていないんです」

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