「ダメ。ゼッタイ。」-。こうした標語の啓発ポスターで知られ、人の心身をむしばむ違法薬物の代表、覚醒剤。この「白い粉」は戦後、急速に蔓延し、警視庁は昭和29年、「覚せい剤取締対策本部」を設置して本格的な対策に乗り出す。
明治中期、日本などで開発された覚醒剤は当初、医療などの分野で限定的に使われていた。昭和15年以降、「ヒロポン」などの名称で市販されるようになり、戦闘機の搭乗員や軍需工場の勤労者らが用いるなど、広がりを見せ始める。
20年代、軍需用が民間に大量放出され、若者を含め一気に乱用が拡大。『警視庁史 昭和中編上』は、「おびただしい数の中毒患者」「亡国論が叫ばれ、放置できない問題」などと伝えている。
密造組織や売人を取り締まるため、警視庁が設置したのが、警視総監をトップに据えた「対策本部」だった。『犯罪白書』によると、覚醒剤事犯の摘発のピークは本部設置の29年で5万5664人にものぼる。徹底した摘発で、32年以降はしばらく1千人を下回るなど急速な沈静化に成功した。
ただ、根絶には至っていない。今年4月には、覚醒剤を小型機械に隠してメキシコから密輸した疑いで6人組が警視庁などに逮捕された。密輸の手口は巧妙化し、海外では新たな覚醒剤が開発されるなど、情勢は予断を許さないままだ。対策本部設置から70年が経過した現在も、違法薬物との戦いは続いている。(外崎晃彦)
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