三笠宮妃百合子さまが、15日朝早く、老衰のため逝去されました。

百合子さまは、上皇さまのおじにあたる故・三笠宮さまの妃で、記録の残る皇族では最長寿の101歳。
大正・昭和・平成・令和と激動の時代を生き抜かれた生涯でした。

3月に入院後は、口から水分や食事を取ることはできないものの、落ち着いた状態が続き、6月には101歳の誕生日を迎えられました。

前日にも病院を訪れた孫の彬子さまは、そのときの様子を「きょう100歳最後の日でございますねとお話ししたら、うん、とおっしゃっていらっしゃいましたし。毎日リハビリをなさって」と明かされていました。

翌日の誕生日当日には、ご家族から病院で祝福を受け、つい最近まで車椅子に座るなど体調は比較的安定されていました。

1941年に三笠宮さまと結婚された百合子さま。
空襲により宮邸が全焼し、5人のお子さまに恵まれるも「ひげの殿下」として親しまれた長男の寬仁さま、次男の桂宮さま、47歳の若さで急死した三男の高円宮さまと3人の息子に先立たれるなど、大きな悲しみを何度も経験されたご夫妻。

百合子さまは、多才な三笠宮さまの活動を献身的に支えられました。

戦後の日本にはレクリエーションが必要だと考え、スケートなどの普及に力を注がれた際には、小学生の天皇陛下に説明されるお姿も。

そして「オリエントの宮さま」として親しまれた三笠宮さまの研究者としての活動も支え、トルコ訪問に同行して発掘現場に足を運ぶなど、2016年に100歳で三笠宮さまが旅立たれるまで75年の長きにわたり連れ添われました。

三笠宮さまが96歳のころ、心機能が低下した際には、回復の可能性を信じて外科手術を希望され、三笠宮さまは手術により元の日常生活を取り戻されました。

結婚70周年を迎えた2011年には、文書で感想を寄せられました。

三笠宮さまは「顧みれば、70年間、陰になり日なたになり私を助けてくれたのは、何といっても妻・百合子であった。百合子に対して感謝の言葉も見付からないほどである」と心からの感謝を綴られ、百合子さまは「余り頑健でない私を、いつもいたわってくださった宮様のおかげで今日まで長生きできましたこと感謝の言葉もございません」と記されていました。

母子愛育会の総裁を長年務め、母子の健康に心を寄せられたほか、民族衣装文化普及協会や、いけばなインターナショナルの名誉総裁などとして、日本文化の普及にも尽力されました。

百合子さまは心臓のペースメーカーを埋め込む手術や2007年には大腸がんの摘出手術も受け、2021年3月に発作性心房細動で4日間入院しましたが、度重なる病気を乗り越え、2024年3月に入院するまでは、お住いの宮邸で新聞各紙に目を通したり、テレビで野球の中継を見るなど穏やかな日々を過ごされていました。

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