北方領土の返還交渉は進展が見えず、元島民の高齢化が進んでいます。そんな中、次世代の若者が元島民の思いを引き継ぐために立ち上がっています。

北方領土問題伝える 元島民4世の大学生

 「勇留島4世の半田つくしです。私が北方領土に興味を持ったのは、中1のときに元島民のお話を聞いたことでした」(北方領土の元島民4世 半田つくしさん)
 
 札幌の大学1年生、半田つくしさん。根室市出身で北方領土の元島民4世です。この日、北方領土の返還を求める国民大会で壇上に立ちました。

 「元島民の平均は88歳を超える今、解決するためには、若者の力が必要だと感じています。これまで、元島民の方々が積み重ねてきたものを途絶えさせないように、多くの方に対して、北方領土問題を伝えていきます」(半田さん)

 半田さんが北方領土問題に関心を持ったのは中学生のとき。授業で元島民の話を聞いたのがきっかけでした。

 「(一時期、北方領土で)日本人とロシア人が一緒に住んでいたという話で。ロシア人は冷酷な人だと思っていたのですが、日本人のことをよく思っている人もいるということが印象に残りました」(半田さん)

 領土問題を深く知りたいと、根室高校では、北方領土根室研究会に入り、伝えていくための活動に力を入れました。

 活動する中で、曾祖母が歯舞群島の勇留島の元島民で、自分が4世にあたることを知りました。

若者の関心の低さに直面

 高校卒業後は札幌の大学に進学。そこで目の当たりにしたのは、同世代の北方領土問題への関心の低さでした。

 「(友人らに)こういう活動をしていたと、言うと『すごいね』で終わって、他人事として捉えられているなと思いました」

 「根室だと3世・4世も多いですし、小学生から領土問題について学んでいるので、札幌とは違うなと思いました」(半田さん)

 内閣府の調査では北方領土をロシアが不法占拠している現状を「知らない」と答えた人は35%、30代以下では半数を占めています。

 札幌の若者に領土問題について聞いてみると…。

 「大学の授業でちょっと触れる程度」

 「返還を求める声がすごい上がっているけど、あんまり考えたことなかったです」(ともに札幌の若者)

元島民にも危機感

 この状況に元島民も危機感を募らせています。勇留島出身の角鹿泰司さん。終戦直後の1945年9月、角鹿さんの自宅にソ連兵が押し入ってきたときの恐怖は今も鮮明に覚えています。

 「1メートルしかない距離で銃口を向けられたときはもう撃たれるんじゃないかと。自宅の天井は突かれる、押し入れの布団は出されるタンスのものは荒らされ、バラバラにしていった」(北方領土の元島民 角鹿泰司さん)

 その翌年、角鹿さんは家族とともに漁船で根室に渡りました。ふるさとを追われ、80年近く。

 北方領土の返還交渉は進展が見えず、ロシアのウクライナ侵攻でビザなし交流や墓参は中断に。先日の衆院選でも争点になることはほとんどありませんでした。

 「ここで挫折してしまったらロシアに何と思われるか分からない。そんなことにないようこれからも国に力をつけていかなとといけない。死ぬまでの闘いだなと感じています」(角鹿さん)

半田さん 洋上慰霊に参加

 9月、中断となっている北方墓参の代わりに、船から先祖を供養する洋上慰霊が行われました。この日は角鹿さんや大学生の半田さんも参加しました。

 「国後島が見えて山が大きいなと思います。より近くまで来ているのを実感しています」(半田さん)

 船は納沙布岬の沖合で停泊。初めて洋上慰霊に参加した半田さんは、島に眠る先祖や故郷に戻れず亡くなってしまった元島民に思いを馳せながら手を合わせました。

 残念ながら島に帰ることができなかった方に、「私たちもがんばります」と思いを込めました。

 慰霊式のあと、半田さんは曾祖母と同じ勇留島出身の角鹿さんに島での生活について教えてもらいました。これからも元島民の思いを引き継ぎ、全国の人たちに伝えていきたいといいます。

 「根室市民としてだけではなく、一人の後継者として、これからの次の世代の人たちに北方領土問題を伝え続けたいと思っています」(半田さん)

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