いつまでも思いは変わらない。JR福知山線脱線事故から19年となった25日、妻の淑子(よしこ)さん=当時(51)=を亡くした兵庫県西宮市の山本武(たける)さん(75)は、娘たちとともに兵庫県尼崎市の事故現場を訪れた。妻が最後にいたと思われる場所を見つめ、「また会いに来たぞ」と心の中で語りかける。当時と同じような青空。「あの日はもっと暑かったなあ」。亡き妻との最後の記憶をたどっていく。(安田麻姫)
「明るくて、よくしゃべる人だった」。今月中旬、笑顔の淑子さんの写真に優しいまなざしを向けながら、こう思い出を語った山本さん。淑子さんが望んだという煙突のある自宅の玄関先にはきれいな花が咲いていた。
平成17年4月25日、仕事中にラジオで事故の発生を知った。大阪までパートに出ていた淑子さんがいつも乗車している時間帯だった。連絡手段もなく居ても立ってもいられず、現場へ向かった。
JR尼崎駅、近隣の病院…。懸命に探し回った。夕方になっても見つからず、遺体安置所となっていた尼崎市内の体育館へ向かった。朝、玄関で手を振った淑子さんが横たわっていた。
遺体を家に連れ帰り、一緒に一晩を過ごした。「なんで。どうして」。頭が真っ白になった。
直後から山本さんの生活は一変した。考えたくなくても、事故のことばかり考える。ショックやストレスから脳梗塞や肺がんを経験した。
「なぜこんなことが起きたのか」。原因が知りたいと、脱線事故の被害者や遺族らでつくる「4・25ネットワーク」のメンバーとなり、JR西に対して声を上げた。JR西の歴代社長が業務上過失致死傷罪に問われた公判にもすべて足を運んだが、29年6月に最高裁で無罪が確定。残ったのは無力感だけだった。
だがしばらくたって心境の変化があった。思えば淑子さんとの約30年間の夫婦生活で、けんかは1度だけ。妻は穏やかで争いを好まない性格だった。「事故のことばかり考えても仕方がない。それなら明るく、平常心で普段の生活を送るほうが妻も喜ぶはずだ」
経営していた繊維卸会社をたたみ、淑子さんのアルバムを片手に、日本各地へ旅に出た。最初は新婚旅行をした思い出の北海道。約1カ月かけて車で道内を一周した。
現在、娘たちや孫、愛犬と穏やかな日々を送る山本さん。淑子さんとの思い出にいつも支えられていると感じる。「煙突のある家に住みたい」という妻の念願だった家で「現実を受け入れて、前向きに生きていこう」と決めている。
あれから19年。JR西に望むことは変わらない。安全最優先をどこまで貫徹できるか。「何が起こるかは分からない」と着実な歩みを日々積み重ねることを求めた。
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