[心のお陽さま 安田菜津紀](34)

 私は東京に暮らし、本土に身を置く人間だ。沖縄に負担を押し付ける側に立ってしまっている一人として、さらに何かを沖縄に「背負わせる」ことになる言動には慎重でありたい。

 同時に、パレスチナを取材し、この地に友人がいる一人として、やはり伝えたいことがある。

 9月18日、ギラッド・コーヘン駐日イスラエル大使が県庁を訪問。沖縄タイムスの記事によると、池田竹州副知事は「イスラエルにはセキュリティー関係で世界トップレベルの企業があり、県内企業と連携できれば素晴らしい」と歓迎したという。

 しかしそのサイバーセキュリティーの分野は、どのように「発展」してきたのか。それらはパレスチナ人を実験台にし、パレスチナ人の犠牲の上に成り立ってきたものではないのか。

 イスラエルの公権力者たちは自国の宣伝に余念がないが、他国や自治体との「喜ばしい提携」は、同国軍の残虐な行いを覆ってきた。基地負担を強い続ける日本政府に対し、県は独自に「地域外交」を進めようとしてきた。しかしイスラエルとのこうした「連携」は、武力に頼らない交流とは真逆のものではないか。

 もちろん沖縄県だけの問題ではない。県内では自衛隊配備が進められるが、防衛省はイスラエル製ドローンの購入を検討している。そうした武器がどのように「実践済み」「実証済み」のものとして売り出されてきたのか、誰を犠牲にした「実践」だったのか、日本政府にも強く問わなければならない。

 先日、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の箕牧智之さんは会見で、ガザの子どもたちと80年前の日本を重ねて語った。コーヘン大使は「ガザと80年前の日本との比較は不適切で根拠に欠ける」と非難した。被爆当時のことを思い返し、切実に語った箕牧さんの言葉を、事実上の核保有国として知られ、かつ虐殺を続ける側が、不都合を覆うために否定することに恥じらいはないのか。

 同時に、忘れてはならないことがある。イスラエルによるパレスチナへの搾取、差別の構造と、日本軍が、そして日本政府が沖縄に強いてきた犠牲は、重なるところがないだろうか。

(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)

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