ノーベル平和賞に、長年核兵器廃絶を訴えてきた被爆者でつくる日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が選ばれました。13日 静岡市では被爆し亡くなった人たちの慰霊式が開かれ、関係者が受賞を喜んでいました。
10月13日は、広島市の平和記念公園で協議会の代表委員が被爆者の先人たちに報告しました。
広島県被団協・箕牧智之 理事長:
34万人の被爆者の方が眠っておられる慰霊碑の前に参りました。ノーベル平和賞を頂くことになりまして、私たちは核兵器廃絶を諦めません
静岡市清水区では13日、広島と長崎の原爆で被爆し亡くなった人を慰霊する式典が開かれました。
主催した静岡県原水爆被害者の会の鈴木聖子会長たちは、日本被団協のノーベル平和賞に喜びをかみしめました。
県原水爆被害者の会・鈴木聖子 会長(長崎で被爆):
いろいろな方が一生懸命だったのが報われてよかったなというのが大事です。日本政府がもっと認めてもらい、「被爆・核はだめ、戦争もだめ」という世界にしていってもらいたい
県原水爆被害者の会・川本司郎 顧問(広島で被爆):
先輩たちが一生懸命 昔からこういう問題に対して、世界に向かって核兵器廃絶ということを大きな声でやったり、各国へ行って行進したり、署名をとったりしたおかげ
6歳の時に広島で被爆した伊東市に住む樺山公一さん(85)。5年前にようやく被爆が認定され、協議会への感謝の思いを口にしました。
樺山公一さん(6歳の時 広島で被爆):
本当にうれしいし、今まで努力されてきた方たちには、もう感謝して、感謝に尽きます。(私は)団体の方に協力いただいて(被爆者)健康手帳をとることができた。そういうようなことであって、むしろ受け身の形でしたけども、だから活躍なさっている方は、もっと本当に深く喜びが大きかったんじゃないか。核のない世界を早く実現するために努力するというか、そういうことができればいい
核兵器廃絶に向けた運動が高まるきっかけとなったのが、アメリカが70年前にビキニ環礁で行った水爆実験です。
この実験に焼津港所属のマグロ漁船 第五福竜丸が巻き込まれ、乗組員23人が被ばくしました。
この被害を語り継いできた第五福竜丸 平和協会の山本義彦さんは、日本被団協のノーベル平和賞の今後に期待を寄せています。
第五福竜丸 平和協会・山本義彦 顧問:
日本の被爆問題だけではなく、原水爆を実験している地域(で生活する人)も被ばく者。国際的に見たら他の国々も同じような問題を抱えていることを考えるきっかけになってほしい
山本さんは「これからも第五福竜丸の被害を継承し、若い世代に核兵器の恐ろしさを学んでほしい」と願っています。
山本義彦 顧問:
人々が平和に生きるというのは、最低の条件で最大の課題だと思う。平和に生きる。その原点にあたるのは、第二次世界大戦の歴史的教訓だった究極の兵器としての核問題だとしたら、その核問題について、もっと学ぶことは大事なんじゃないか
日本がアメリカの「核の傘」に守られている一方で核廃絶をどう進めていくか、ノーベル平和賞が日本政府の姿勢を問う機会となりそうです。
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