四國五郎の絵を背に熱演する趙博さん=広島市中区で2024年9月20日午後6時52分、宇城昇撮影

 反戦詩画人の遺志を継ぐ熱演。大阪在住のシンガー・ソングライター、趙博(チョウバク)さん(67)が創作した一人芝居「ヒロシマの母子像―四國五郎と弟・直登」の全国巡回公演は今夏、関西を皮切りに始まり、今月末の横浜公演で一区切りになる。戦火のやまない世界への悲憤を歌と語りに込めて――。

 公演のクライマックスは9月20日夜、広島市内での舞台だった。平和のための創作を続けた四國五郎(1924~2014年)が生きた地。満場の観客に演じた一人芝居は約1時間半。四國が描いた広島の風景や反戦画を投影したスクリーンをバックに、詩や日記からの抜粋などを織り交ぜて構成される。趙さんは言い回しを広島の言葉に変え、ウクライナやガザ地区の情勢にも言及した。戦争への怒りと憎しみが生前の詩画人を創作に駆り立てた力だったことが伝わってきた。

四國五郎のアトリエには詩人の峠三吉から贈られた色紙がある。右は四国の自画像=広島市で2024年2月19日、大西岳彦撮影

 原爆投下時は徴兵先の満州(現中国東北部)にいた四國は、3年間のシベリア抑留を経て帰国後に弟の被爆死を知った。激化するベトナム戦争に創作のペースを加速させた頃、四國は亡き弟をしのんで「おまえが求めて止(や)まぬものは、まだこの地上にはない」という一文を書いた。それは戦争による不条理な死を強いられない世界だ。

 趙さんと広島との関わりは、大学2年のときに参加した原水爆禁止世界大会だった。毎年のように広島を訪れながら、生前の四國とは接点がなかった。「浪花の歌う巨人」を名乗り俳優や作家など多芸で知られる趙さんは、19年に大阪であった四國の回顧展で目にした遺品などに衝撃を受けて「これを伝えなければ」と一人芝居の脚本を書き始めた。23年夏、まずは広島市内でダイジェスト版を公演し、さらに完成版を大阪、名古屋、東京で巡演して好評となり、その反響に手応えを感じた。

 四國の生誕100年・没後10年を迎えた今年、改訂版の脚本で全国巡回公演へ。8月は神戸や京都、奈良を巡り、広島原爆の日の6日は大阪市内で舞台に上がった。9月は中国、四国、九州各地を回った。

 被爆地・広島での公演は特別な思いで臨んだ。「人間は二度死ぬと言います。一度目は生物として。二度目は覚えている人がいなくなったとき。原爆で死んだ人たちに二度目の死を迎えさせてはいけない」。終演前のあいさつで、趙さんは「語り継ぐ」ことの大切さを会場に訴えた。

 残念ながら四國が弟にわびた言葉はそのまま、現状の嘆きにつながる。趙さんが感銘を受けた四國の言葉は、弟の死を知った夜に日記に記した「悲しみを怒りと憎しみに転化させよ!」。その矛先は、新しい戦争に向かっているかのような時代に向かう。趙さんは巡回公演の案内に、四國の盟友だった詩人の言葉を引いて、こう書いた。

 「『唯一の被爆国』などと嘯(うそぶ)きながら、『くずれぬへいわ』(峠三吉)を蔑(ないがし)ろにしてきたこの国の罪はあまりにも大きく、どこまでも深い」

 戦後80年を前に、忘れてはならないこと、省みなければならないことがある。【宇城昇】

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