日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル賞受賞決定から一夜明けた12日、被爆地では歓迎や期待の声が上がった。
広島市中区の平和記念公園は、3連休の初日ということもあり、国内外の多くの観光客が訪れていた。
原爆ドームの前では、ボランティアガイドの三登(みと)浩成(こうせい)さん(78)が英語で外国人に原爆の被害などを説明していた。胎内被爆者である三登さんは、これまでに約180カ国、約10万人の外国人を案内。「被爆者として自らをさらけ出し、原爆の実態を伝え続けてきた活動や平和への願いは日本被団協の人たちと同じ。ニュースを見て、自分ごとのようにうれしかった」と喜んだ。
原爆資料館の前は、いつものように入場を待つ多くの人が列をなした。東京都稲城市の大学1年、野崎千歳さん(18)は、受賞を喜ぶ一方で「みんなが核の恐ろしさを知って廃絶しないと(受賞の)意味はないと思う。今回をきっかけに、世界の偉い人たちは資料館を訪れて、核の悲惨さを感じてほしい」と訴えた。
米シアトルから訪れ、初めて資料館を見学して核被害の実態を知ったというカレン・ベックさん(72)は「日本被団協の存在は今まで知らなかったが、今回の受賞は過去の歴史を忘れないくさびになるはずだ」と語った。
長崎市の長崎原爆資料館でも「核なき世界」への願いが改めて広がった。米国人のグリーン・ケニオンさん(62)は米国で小学校の教員をしていた際、広島で被爆して白血病になり、鶴を折って回復を祈ったが、12歳で亡くなった佐々木禎子さんについて教えた経験があるという。「日本被団協の平和賞受賞は、平和な世界の実現を願う自分にとっても重要な意味を持つ。長崎原爆資料館、かつて訪れたことがある広島の資料館ではともに被爆の実相を知ることができ、より一層、原爆の恐ろしさを感じた」と語った。
長崎原爆資料館に埼玉県から家族で来た中島妙子さん(66)は「資料館で学んだ原爆の恐ろしさ、悲惨さ、絶対に使ってはいけないということを孫や子供に伝える責任がある」と誓った。長崎市の平和公園で平和祈念像を撮影していた米国人のロバート・バードレスさん(67)は「被爆者は差別を恐れずに体験を発信してきた。被爆者が平和の実現を決して諦めずに訴えてきたことが世界に伝わってうれしい」と話した。【根本佳奈、安徳祐、百田梨花】
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