1トンもの体をぶつけ合う山古志の「牛の角突き」。牛が傷つかないように引き分けにするのが特徴。勢子(せこ)と呼ばれる男たちが、間に分け入って取り押さえる。中央は勢子を務める山古志闘牛会会長、松井富栄さん(42)。「地震の時は全国の人に支えてもらって感謝しかないです」=新潟県長岡市で2024年9月22日、長谷川直亮撮影
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 最大震度7を記録した2004年の「新潟県中越地震」の発生から10月23日で20年を迎える。68人が犠牲となり、最大で10万人以上が避難所生活を送った。

 震源に近い山間部の被災地、旧山古志村(現新潟県長岡市)は大きな地滑りで道路もライフラインも寸断され、全ての集落が孤立。地震から2日後に村民約2200人が長岡市に全村避難した。約3年後、約7割の住民が故郷に戻り、少しずつ復興への歩みを進めた。

 現在は、山あいの斜面に棚田や棚池が連なり美しい景観が広がる。旧山古志村の人口は震災前の3分の1の約700人。人口減少、高齢化が進むが、伝統文化を守りながら豊かな自然の中で暮らしている。

 1000年以上の歴史があると言われる山古志の伝統行事「牛の角突き」。被災した人たちを勇気づけ、復興の象徴にもなった。地震で牛舎が倒壊して約60頭いた牛たちも半数が犠牲になり、一時は存続の危機に立たされたが、全国からの支援で乗り越えた。

 地震後、村に戻って畜産業を営む山古志闘牛会会長の松井富栄(とみえ)さん(42)。「この地域だけの文化ではなく、いろんな人たちとこの伝統を一緒に続けていくことができれば。一つ一つやっていく中で新しいものを取り入れていきたい」と話した。

 過疎化が進む中、都市部からの移住を選ぶ若い世代もいる。7年前、神奈川県平塚市出身の星野奈都子さん(30)は大学卒業後に移住してきた。大学で農村開発を勉強していた星野さんは、地方の住民と一緒に地域のために働くことに関心があった。地域おこし協力隊に応募し、NPO中越防災フロンティアの職員として「やまこし復興交流館おらたる」での業務や、移住促進事業、震災遺構や観光のガイドなどに従事。震災伝承に関わる仕事にも携わった。

 星野さんは、周りの人の優しさに触れ、この地域に魅力を感じた。「ここに住んで一緒に生きていきたい」と思い、定住することを決めた。「自然に囲まれ、空を広く感じる山古志が好き」と話す。3年前に山古志在住の男性と結婚し、今年の3月には長男の光輝(みつき)ちゃんが生まれた。「親として山古志の文化、歴史、地震のことも伝えていきたい」【長谷川直亮】

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