長崎市中心部から離れた山間部にある同市太田尾町の山川河内(さんぜんごうち)地区で、164年前の土石流災害の被害を伝える「念仏講まんじゅう配り」が今も続いている。年1回、地区の30世帯にまんじゅうを配って犠牲者を悼み、災害への危機意識を忘れないようにする取り組みで9月、内閣府、国土交通省などの「NIPPON防災資産」に認定された。自治会長の山口和也さん(65)と地区を歩いた。
市中心部から車で約30分。「あれが164年前の名残です」。山口さんが指さした山の斜面がくぼんでいた。近くの寺の記録などによると、ここで江戸時代末期の1860年4月9日(旧暦)、大雨による土石流が発生。住民24人が死亡、9人が行方不明になったとされる。
捜索活動は同13日に打ちきられ、14日に供養の法要が営まれた。地区では毎月14日を月命日とし、犠牲者の冥福を祈って農作物などを供えた。60年ほど前からはお供えがまんじゅうになり、住民が持ち回りでまんじゅうを準備し、各家庭に配った。
山口さんが幼い頃は、仏壇にまんじゅうを供えてから食べていた。「まんじゅうが配られる度に『自分の住んでいる土地は危険な場所なんだ』と思い出す機会になった」と振り返る。
まんじゅう配りは実際に、住民の命を救った。299人の死者・行方不明者を出した1982年7月の長崎大水害では、山川河内地区でも土石流が発生。当時23歳だった山口さんは職場から帰れなくなり、途中で大型バスが流されるのを見て「地区の住民は助からないのでは」と絶望した。
だが、当時いた35世帯、173人は早めに高台などに自主避難し、全員が無事だった。隣接地区では多数の犠牲者が出ており、「犠牲者ゼロ」は奇跡的だった。
山川河内地区は高齢化が進み、5年ほど前からはまんじゅう配りが月1回から年1回に減った。現在は祭りがある7月の第2日曜、山口さんが市中心部でまんじゅうを買い、地区の小さなお堂に供える。30分ほど念仏を唱えてから、各家庭に一人2個ずつ配る。
高齢化が進む山川河内地区で、災害の教訓をこれからも、どう継承していくか。山口さんは「大変重い責任を感じている。時代に合わせたやり方を考えていきたい」と語った。【尾形有菜】
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