1966年に静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で4人が死亡した強盗殺人放火事件、いわゆる袴田事件のやり直しの裁判で、静岡地裁は9月26日、被告の袴田巖さんに対して無罪判決を言い渡した。法廷では現在も判決理由の説明が続いている。

事件の発生は今から58年前

1966年6月30日に当時の清水市にある味噌製造会社の専務宅が燃え、焼け跡から多数の刺し傷がある一家4人の他殺体が見つかったほか、多額の現金などが盗まれた強盗殺人放火事件をめぐっては、同年8月に元プロボクサーで味噌工場の従業員だった袴田巖さんが逮捕された。

若き日の袴田巖さん
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1980年に死刑が確定

袴田さんは当初、犯行を自白したものの、裁判では自供を強制されたとして一貫して無罪を主張したが、事件から1年2カ月後に味噌樽の中から大量の血痕の付着した衣類5点が見つかり、静岡地裁はこの“5点の衣類”を決定的な証拠として死刑を言い渡す。

”5点の衣類”

その後、東京高裁は袴田さんの控訴を棄却し、最高裁も上告を退けたことで1980年11月に死刑が確定。

弁護団は裁判のやり直しを求めたが、静岡地裁、東京高裁、最高裁のいずれも請求を認めなかった。

紆余曲折あった第二次再審請求

ただ、2008年に再び裁判のやり直しを請求すると、“5点の衣類”に付着した血痕のDNAが被害者のものとも、袴田さんのものとも確認できなかったことなどから、静岡地裁が2014年に再審開始を決定。

静岡地裁による再審開始決定(2014年3月)

この決定は東京高裁によって一度は取り消されたが、最高裁が「審理を尽くさなかった」として差し戻すと、2023年3月になって裁判のやり直しが認められ、検察側が特別抗告を断念したため再審開始が確定した。

静岡地裁は冤罪と判断

再審公判は同年10月から始まり、これまで計15回の審理が行われたが、9月26日午後2時に開廷した判決公判で、静岡地裁の國井恒志 裁判長は袴田さんに対して無罪を言い渡した。

法廷では現在も判決理由の説明が続いている。

今後は検察側が判決を不服として控訴するか否かが焦点となるが、袴田さんの弁護団は判決を前に静岡地検に対して控訴を断念するよう申し入れている。

袴田巖さん(左)と姉・ひで子さん(右)

日本の司法制度において死刑判決が確定した事件をめぐる再審は袴田さんも含めて5例しかなく、いずれも無罪判決が言い渡されたことになる。

(テレビ静岡)

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