島根県出雲市斐川町にある旧海軍大社基地滑走路跡の調査結果をまとめたギャラリー展「いつまでも戦後でありたい 旧海軍大社基地滑走路跡を掘る」が、出雲弥生の森博物館(同市大津町)で開催されている。調査で確認された滑走路の構造を詳細に紹介している。【松原隼斗】
旧海軍大社基地の滑走路は、終戦間近の1945年3月から6月にかけて短期間で建設された。全長1500メートル、幅60メートルでコンクリート舗装され、周辺には飛行機を隠す掩体(えんたい)や誘導路、地下壕(ごう)などもあった。
滑走路跡は数年前まで広範囲に当時のまま残っていたが、市内の民間企業が土地を購入し、住宅地として開発が始まった。市は2021年12月から跡地の調査を開始し、今回の展示は、22年にコンクリート舗装をはがした調査の結果を紹介している。
調査では、コンクリート舗装の下に建設時の盛り土を確認した。コンクリート舗装の厚さは平均約10センチで、基地を連合国軍に引き渡すために作成された「引渡目録」に記述してある数字と同じだったという。ただし、コンクリート舗装の厚さは5~17センチと幅があり、盛り土を十分にならせていなかったことが読み取れる。
一方で、滑走路の表面には縦5メートル、横10メートルの長方形がいくつも並んでいた。型枠を置いてコンクリを流し込んで固めた跡とみられる。長方形の切れ目の間隔が非常に正確であることから、当時の測量技術の高さが分かるという。
出雲市文化財課の黒田祐介さんは「(戦時中の滑走路は戦後に)飛行場になったり、食糧難で開墾されたりして残っているところは少ない。コンクリートを実際にはがした調査は貴重だ」と強調。さらに、建設当時の状況について「滑走路の表面は正確に造られているが、下の盛り土の整地は不十分だった。建設にかけることができた労力の限界を示しているのではないか」と推測した。
会期は10月14日までで、入館無料。9月21日午前10時からギャラリートークが予定されている。問い合わせは出雲弥生の森博物館(0853・25・1841)。
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