開拓団を送り出した責任がないがしろにされていると指摘する矢島良彰さん=渋谷区で

 長野県飯綱町生まれで、映像製作会社「テムジン」(渋谷区)のプロデューサー、矢島良彰さん(76)が8月、ノンフィクション「満州難民感染都市 知られざる闘い」(農山漁村文化協会)を出版した。終戦直後、中国東北部(旧満州)に取り残された日本人開拓団員が発疹(ほっしん)チフスで多数死亡した。だが、襲撃による犠牲や自決、残留孤児に比べて注目されず、検証も進んでいない史実を浮き彫りにした。【去石信一】

 日ソ中立条約を破棄したソ連軍は1945年8月9日、旧満州に侵攻。矢島さんが注目した厚生省(当時)の資料によると、殺されたり自決したりして、ソ連軍が戦闘を停止した9月初めまでに6万人が犠牲になった。一方それ以降、各地の大都市を中心にさらに18万人以上が死亡した。事態が落ち着いたはずの時期だ。

 当時、農村部にいた開拓団員は着の身着のまま都市になだれ込んだ。中国東北部の中心都市・瀋陽(旧奉天)では、従来住んでいた日本人の居留民会が支援に取り組んだが行き届かず、国も手を差し伸べられなかった。団員はボロボロの収容所に入れられ、真冬になるまで暖房も無し。食べ物は自分たちで調達しなければならないが、金目の物はソ連兵らに略奪されて購入は困難。栄養失調になり、捨てられた野菜の切れ端も食べた。

 衰弱したところに感染症の発疹チフスが広がった。劣悪な衛生環境の中、病原体を媒介するシラミが大発生していた。発疹チフスは戦争など社会的極限で流行することが多く、高熱を発し、狂騒状態に陥ることもある。国立感染症研究所によると、治療しない場合の致死率は年齢によって10~40%だ。

 瀋陽では患者発生の報告が同年の10月末にあり、一気に広がった。現地の満洲医科大が手当てしたが、満足な薬は無く対症療法。感染者の隔離、ワクチン製造、シラミ駆除器導入が進んだ46年まで流行は止まらなかった。

開拓団員の闘いを浮き彫りにした「満洲難民感染都市」

 矢島さんの出身地は、長野県北部7村による「黒姫郷開拓団」を送り出した地域。48戸計166人の小さい開拓団で、入植地から避難先の瀋陽に着くまでの1カ月で、犠牲者は病死した乳幼児2人と比較的軽微だった。だがその後、栄養失調40人、発疹チフス31人、肺炎27人などで6割以上の計104人が死亡した。

 開拓団は、国内農村の過剰人口など「経済更生」を建前に国策として送り出されたが、現地に成立した日本の傀儡(かいらい)、満州国の警備の側面も強い。40年以上も開拓をテーマに作品を作ってきた矢島さんは「団員は国策で押し出され、命を落とした。国は送出の旗を振り、各自治体は人数を競うように実務面で協力した。その末路がこの悲劇。責任を問いたい」と話す。

 折しも、新型コロナウイルス感染症がはびこる中で取材。成果は2021年3月にNHKで「満州 難民感染都市」として放送し、番組で取り上げなかった出来事を加えて書籍にまとめた。

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