成田空港の拡張予定地内にあり、移転予定の先祖代々の墓の前で、家の歴史について語る小川総夫さん=千葉県芝山町で2024年8月12日午後2時28分、小林多美子撮影

 12日、千葉県芝山町の「しばやま郷土史研究会」副会長の小川総夫さん(67)はお盆を前に、同町菱田にある墓地の掃除に訪れた。小川さんは成田空港の拡張予定地の同町菱田の中郷地区で、江戸時代初期から続く小川家の14代目で、墓には代々の当主らが眠る。墓地も予定地内にあり、町内の別の場所に移す予定だ。

 「『(肉体の死と、その人を記憶する人がいなくなった時と)人は2度死ぬ』という言葉があるが、菱田の歴史や風景も忘れ去られてしまえば、本当になくなってしまう」

 小川さんが空港拡張に伴い移転するのは2度目だ。B滑走路新設の際、騒音による移転対象となり、1994年に約1・5キロ離れた場所に移った。その時、曽祖父の代に建てられ、築100年を超える家屋も移築した。

 小川さん自身は今年1月、印西市へ転出した。老後を考え、交通の便の良い地域で暮らすことを選んだ。だが歴史のある家屋を壊すことは忍びなく、活用してくれる人を探している。「北総地域資料・文化財保全ネットワーク」の家屋調査に協力し、記録を残してもらう予定だ。

 小川さんは2017年の郷土史研究会発足時からのメンバーだ。参加以前から、戦国時代に芝山町のあたりを治めていた山室氏の興亡を描いた軍記物語「山室譜伝記(やまむろふでんき)」を読んでいた。山室氏は豊臣秀吉方の勢力によって滅ぼされ、一族は飯櫃(いびつ)城(同町飯櫃)から菱田村(現・同町菱田)に落ち延びたと伝わる。菱田村は戦国武将の書簡にも出てくることを知り、歴史的にも重要な場所だったことに驚いた。だが、その多くは空港拡張予定地に含まれ、長い歴史を持つ古村の大部分は更地となり、風景の全てが消える。

 小川家は代々、菱田村の名主や組頭を務め、村の運営に関わる古文書が多く伝わる。父・総一郎さんが町に寄託し「小川総一郎家文書」としてまとめられている。今回の移転を前に改めて旧宅に残る文書を整理したところ、父親が寄託した文書よりもさらに古い1653年までさかのぼる古文書などが新たに見つかった。自身は町を離れたが、今後も郷土史研究会に参加し、菱田の歴史を研究し続けると決めている。

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 郷土史研究会の会員で中郷地区の役員も務める石毛博道さん(75)は今年6月、中郷公民館に保管されている地区の記録などの書類や民俗道具を調べた。安産祈願や子育ての無事を祈る民俗行事「子安講」で使われた木製のほこらの扉を開けると、「疱瘡(ほうそう)守護神奉謝」などと書かれた昭和初期の奉納の書が何枚も入っていた。

 疱瘡はかつて不治の病とされた天然痘のことだ。神事の際に供える、赤く染められた幣束(へいそく)もほこらに収められていた。赤色は疫病や魔よけに効果があると信じられてきた。石毛さんは「昔の人は疱瘡を本当に恐れていたんだな」と先人たちの信心に思いをはせた。

 石毛さんは来年にも、町内に宅地造成中の集団移転先に移る。今回は戸別の移転が主だが、空港拡張予定地の中郷、中谷津、菱田東の3地区の住民の一部で新たな地区をつくる。大工が本職の石毛さんは移転先に新築される公民館の設計図を描いた。その中に3地区の歴史資料を保管するための資料室を加えた。子安講のほこらなども収めるつもりだ。【小林多美子】

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