[心のお陽さま 安田菜津紀](32)

 「テンノウヘイカがいたのはこの洞窟だ」-。あまりに明瞭な“テンノウヘイカ”の発音に、戸惑うほどだった。オーストラリアの北に位置する東ティモールは、長らくポルトガルの植民地支配を受け、太平洋戦争中、日本軍により3年半、占領された。村人たちが「テンノウヘイカの洞窟」と呼ぶ場所は、ラウテン県の山あいにある。入り口はすでに埋まっているが、すぐそばには村人たちが掘らされた壕が地中深く続いていた。

 なぜその日本兵が、村人たちに“テンノウヘイカ”と呼ばれるようになったのかは分からない。兵士たちがしきりに口にするその言葉から、「司令官はテンノウヘイカ」という認識が広がったのかもしれない。少なくとも記録から、周辺に日本軍が駐留していたことは確かだ。近隣に「慰安所」が作られたこと、この地域に限らず、過酷な労働や飢餓で多くの命が奪われたことも、兵士たちの残した手記や証言から浮き彫りになってきた。

 村人たちはまた、空からの恐怖にも脅かされることになる。当時、4、5歳だったというペドロ・コウティーニョさんは「夕方になると日本軍を狙ってオーストラリアの飛行機が襲来しはじめ、木の下や豚小屋に身を隠した」と、眠れぬ夜を過ごした日々を振り返った。

 苦難は日本の敗戦後も終わらなかった。2002年に独立するまでの過程で、インドネシア軍の侵攻により、約20万人(人口の約3分の1)が犠牲になったとされている。住民たちは「野蛮人」扱いされ、インドネシア政府は「入植」を続け事実上の併合を図った。そして、軍による虐殺が続くさなか、日本政府はインドネシアに援助を続けた。

 東ティモールが独立を遂げて20年余り。今はガザで、虐殺が続いている。イスラエルの国防大臣は「人間動物」という言葉でパレスチナ人を形容し、ヨルダン川西岸地区では「入植」によってイスラエルとの事実上の併合が図られる。それに日本政府は、十分に歯止めをかけているとは言い難い。

 今改めて、日本は問われている。過去の戦争責任を顧みない国に、現代の虐殺や軍事侵攻を止める力があるだろうか、と。

(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)=次回は通常通り第3月曜に掲載します。

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