清積勲四郎さん=愛媛県今治市で2023年6月10日、松倉展人撮影

 「戦争は不幸な出来事だったが、今は相手を『友』として平和を語り合うことができる」。終戦時、旧日本海軍の「伊号第58潜水艦」に当時最年少の17歳で乗り組んでいた清積勲四郎(きよづみくんしろう)さん(96)は言う。米海軍の巡洋艦「インディアナポリス」を終戦直前に撃沈したことで知られる伊58で最後の生存者。9月には自身が暮らす愛媛県松前(まさき)町で講演し、戦争体験と平和への思いを語る。

 清積さんには近年、驚きの「出会い」が相次いでいる。きっかけは、2022年8月に愛媛県今治市立中央図書館が開いた平和展「深海から見た太平洋戦争 伊号第58潜水艦乗組員の記憶」だった。会場では清積さんのインタビュー動画と資料が展示された。その様子を伝える毎日新聞の記事を、インディアナポリス艦の家族会と交流を続ける米インディア大インディアナポリス校講師のハリス田川泉さん(59)がインターネット上で目にし、家族会に知らせた。翌23年夏、清積さんは田川さんを通して、インディアナポリス最後の生存者となったカリフォルニア州在住のハロルド・ブレイさん(97)とメッセージをやりとりすることができた。

終戦で広島・呉に帰投後に撮影したとみられる伊58乗組員の集合写真。清積さんは撮影をかすかに覚えている=宅見香菜子さん提供

 こうした交流を伝えた毎日新聞の記事に、伊58の乗組員で岐阜市出身の堀五郎さん(2006年に85歳で死去)の孫、宅見香菜子さん(42)=東京都=は驚いて目を留めた。堀さんは、記事にあった乗組員の集合写真と同じものを残していた。潜水艦内部を克明に写した写真類と一緒に特別のアルバムに保管してあったのだ。宅見さんは図書館を通じて清積さんと連絡を取り、このアルバムを送って交流が始まった。清積さんには初めて見る写真も多く、「たまらなく懐かしい」と喜ばれたという。

 伊58は1945年7月30日、フィリピン沖でインディアナポリスを魚雷で攻撃し、撃沈した。同艦は広島に投下された原爆の主要部品をマリアナ諸島テニアン島に運んだ直後だった。終戦を迎え、伊58は同8月18日に広島・呉に帰投。11月に長崎・佐世保に回航され、翌46年4月、連合国軍総司令部により、他の潜水艦23隻とともに五島列島沖で海没処分された。内部の写真は佐世保回航の際に撮影されたとみられている。

堀さんが保管していた伊58内部とみられる写真。魚雷発射管が写る=宅見香菜子さん提供

 戦争末期、伊58は特攻兵器の人間魚雷「回天」を搭載しており、宅見さんも幼いころに堀さんから思い出をよく聞いた。堀さんは「一度発射されたら二度と戻れない。『何か最後に言うことはないか』『ありがとうございました。たいへんお世話になりました』というやりとりをしていた」と話していたという。清積さん自身も回天の訓練基地があった山口県周南市の大津島を毎年訪ね、慰霊を続けている。

 清積さんは9月28日、松前町教育委員会が主催する「明るい人権の町づくり大会」で当時の体験を語るほか、ブレイさんに送った手紙を朗読することにしている。「これからも平和な世界を願いつつ健康に留意し、努力したい。今は亡き戦友たちの霊にあなたの心を届けたいと思います」【松倉展人】

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