御嶽山噴火災害から今年で10年。遺族などの会が7月28日、慰霊登山を行いました。岡山県から参加した夫婦は亡くなった息子が登ったルートを辿り、山頂へ。祈りと息子が好きだったウイスキーを捧げました。


2014年9月27日、御嶽山が噴火。
死者・行方不明者は63人に上り、戦後最悪の噴火災害となりました。


70代の夫婦 9回目の慰霊登山

28日朝6時。王滝村の王滝口から山頂を目指す夫婦がいました。遺族、行方不明者家族でつくる「山びこの会」の慰霊登山に参加した岡山県赤磐市の堀口純一さん(77)と寛子さん(75)です。他の参加者より一足早く登り始めました。

堀口純一さん(77):
「脚力がないからゆっくりじゃないと登れません。息子が同僚2人と登ったコース、去年初めて登って、今年も田の原(王滝口)から挑戦しようかと思って」


37歳で亡くなった息子の英樹さん。登山が趣味で、当日は会社の同僚2人と登っていました。

妻・寛子さん(75):
「当日はとてもいいお天気で、とても楽しそうに登っている後ろ姿の写真に残っている」


体力的にきつくなるも…「何とか登ってますよ」

慰霊登山への参加は今年で9回目。年々、体力的にきつくなり、何度も休憩し、息を整えながら登っていきます。

山びこの会の男性2人(共に50歳)が夫婦の登山をサポートしました。

噴火発生時刻の午前11時52分、山頂で黙とうすることになっていましたが、2人は間に合わず途中の「八丁ダルミ」で捧げました。

堀口純一さん(77):
「間に合わなかったけどこれから頂上へ行きますと、今年も去年よりも体力落ちてるけど何とか登ってますよと(伝えた)」


「山びこの会」が慰霊

一方、同じ時刻、剣ヶ峰では、「山びこの会」のメンバーが黙とう。
慰霊のシャボン玉も―。


嫌いだった御嶽山 初めて登った兄弟は…

10年目の今年、初めて山頂を訪れた兵庫県の松井直人さん(30)、登輝也さん(27)の兄弟。父親の貞憲さん(享年47)を亡くしました。二人は当時、大学生と高校生でした。


次男・松井直人さん(30):
「父親が最後に…いたところに来られて良かったかなと思います」

三男・登輝也さん(27):
「高校2年生だったけど、その時にはこの山がすごく嫌いだった。父を近くに感じられるところに足を運べたのがすごくよかったなと。もっと一緒にいたかったなって…」


息子を失った82歳の男性も参加

東御市の荒井寿雄さん(82)。
息子の真友さん(享年41)を亡くしました。

荒井寿雄さん(82):
「10年ね…早いような遅いような、私は死んだような感じでした。もう10年ボーっとして、本当は忘れればいいんだろうけど、それを忘れることができなくて。お父さん、頑張って来たよって。多少でも喜んでくれるかなっていう気持ちです」


遅れて登頂 捧げた祈りとウイスキー

午後0時45分、堀口さん夫婦が遅れて剣ヶ峰に到着しました。

堀口純一さん(77):
「南無妙法蓮華経」

寺の住職でもある堀口さん。供養のお経を唱えました。

そして英樹さんが亡くなったとみられる場所に向かって英樹さんが好きだったウイスキーを捧げました。

堀口純一さん(77):
「この辺だな」

あの日、最後に撮影された写真。英樹さんが立っていた場所に2人で立ちました。

堀口純一さん(77):
「頭の中に息子のことばかりあって離れない。この10年たって半分くらい胸の中に落ちてきたけど、余計に寂しくて悲しい。ひょっとすれば帰ってくるのではと、無意識にそんな気持ちに。親としては供養してやるしかない」

妻・寛子さん(75):
「37で亡くなった英樹しか私の中にないので、もう少し生きて、いろんな所に連れてって、ここにも生きて連れてきてくれたらよかったのにと怒りたいくらい」


高齢化進むも慰霊登山は継続へ

噴火災害からまもなく10年。「山びこの会」はメンバーの高齢化も考慮し、今年で慰霊登山に区切りをつける方針でしたが、続けてほしいという声を受け、来年以降も実施することにしています。

堀口さん夫婦も。

堀口純一さん(77):
「毎年1回は供養のために登りたい。ここは最後まで生きた証しのところですから」

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