原爆の爆心直下の長崎市松山町にある市営陸上競技場に被爆した建物のがれきや基礎とみられるコンクリートが埋まっていると、長崎平和推進協会写真資料調査部会長の松田斉(せい)さん(68)が指摘している。競技場を巡っては、市民総合プールの移転先とするなどの案を市が検討しているが、松田さんは「被爆した建物の基礎やがれきがこれだけ大規模に埋まっている場所は他にない。きちんと調査すべきだ」と訴えている。【樋口岳大】
記者は8日、松田さんと競技場を歩いた。トラック跡の地表に赤い塊が露出し、松田さんは「用途を考えると、競技場を整備後に建築廃材などが外から運び込まれたとは考えにくい。被爆建物のレンガと考えられる」と説明した。
競技場内には、基礎だったとみられるコンクリートが砂利や金属などと固まって地表に出ている箇所も点在。戦前のものとみられるしっくいの付いた石材が緑地帯の縁石として使われたり、場内の一角に積まれたりもしている。
戦後飛行場に
被爆前、競技場は三菱重工長崎造船所が所有し、現在の競技場よりやや南側にずれた位置にあった。現在の競技場の北端部分には同社の寮などがあったが、1945年8月9日に米軍が投下した原爆で壊滅。翌月に長崎に上陸した米軍が競技場の場所に簡易飛行場を整備した。51年に市が平和公園として都市計画決定し、市営陸上競技場を造った。
49年ごろに撮影された爆心地付近の写真には、米軍の滑走路脇に被爆建物の基礎とみられるものが写っており、松田さんは「飛行場建設時に整地されているので、被爆当時のそのままの状態ではないが、市営陸上競技場には被爆建物のがれきや基礎が埋まっていると考えられる」と指摘する。
競技場を巡っては、浦上川沿いでの県道整備に伴い(1)市民総合プールを中部下水処理場跡地に移転させ、競技場は現地存続(2)プールを競技場の場所に移転させ、陸上練習場を下水処理場跡地に設置――の2案を市が検討している。
被爆者4団体と市民団体は10日、「工事の過程で地下で眠っているとみられる爆死者の遺骨が掘り返される恐れがある」などとして、競技場の現地存続を市に要望した。
松田さんは「工事をする前に調査し、被爆資料として残すものは残し、保存が難しいものも記録を残すなどの一定の手順を踏むべきだ」と語る。
松田さんの指摘について、市土木企画課の担当者は取材に「確認中」と答えた。
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