その学校の運動場には、空襲でも焼けなかったクスノキがある。学校のシンボル的存在だ。でも、ひどく衰弱している。児童たちが復活に向けて立ち上がった。
愛知県岡崎市の愛知教育大付属岡崎小の運動場には大きなクスノキが植えられている。昨年7月、当時の5年2組の児童29人が総合的な学習の時間でクスノキについて調べ始めた。
クスノキは高さ約14メートル、幹回り約5メートルあった。学校が開校した1902年の時からあるシンボルだ。岡崎市の「ふるさとの名木」にも指定されていた。
児童たちは昔の写真のクスノキを見て思った。今は葉の色が薄く、葉のない枝も目立つ。「クスノキを元気にしたい」。樹木医に診断を依頼すると、樹齢は約150年で寿命数百年のクスノキにしては若いことが分かった。
クスノキはやはり衰弱していた。周囲の土が硬く、栄養や水がうまく届いていなかったという。運動場のためこれまで肥料もまかれたことはなかった。
児童たちは土を入れ替えようと自力で掘った。だが、あまりに硬く、根も傷つけてしまうため断念した。専門業者に依頼して、栄養のある柔らかい土に入れ替え、6年ほどかけてゆっくり治療することを決めた。
クスノキの再生に向け、10月には児童らは校内で募金活動を実施した。約10万円が集まったが、治療費約300万には遠く及ばなかった。
その後、戦時中に同校に通っていた男性から話を聞く機会があった。男性は「戦争の空襲にも耐えた思い出の詰まった木。後輩に受け継いでほしい」と話した。このクスノキは戦禍を生き延びた平和の象徴だったのだ。
市民約280人が犠牲になったとされる1945年7月20日の岡崎空襲。同校も一部校舎が燃えるなど被害を受けていた。延焼を防ぐため防空壕(ごう)に避難していた職員が懸命に消火し、クスノキは無事だった。防空壕を隠すためにクスノキの枝が使われたこともあったという。
思いを託された児童は「諦めないぞ」と決意。クラウドファンディング(CF)で資金を募ることを思いつき、今年5月から始めた。目標額は経費も合わせて350万円。返礼品にはクスノキの葉を使った手作りのしおりなどを用意する。
児童たちは「歴史と思い出のあるクスノキを治したい。大切な理由を伝え、皆に協力してほしい」と呼びかけている。
CFサイト「レディーフォー」の専用サイト(https://readyfor.jp/projects/140831)から申し込める。31日まで。【川瀬慎一朗】
岡崎空襲
太平洋戦争末期の1945年7月19日未明から20日にかけて米軍のB29爆撃機が愛知県岡崎市上空に飛来。激しい空襲で約280人が死亡し、市中心部の多くの建物が焼失した。
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