東日本大震災の津波で福島県双葉町の共同墓地などから流され、放置されていた400点あまりの墓石を、県が17日から撤去して廃棄処分する。津波と原発事故で被災した沿岸部に復興祈念公園を造るためで、墓地の跡地は盛り土をして多目的広場として整備される。住民の先祖をまつり、津波の脅威を伝えてきた墓石が廃棄されることには、被災者らから疑問の声も上がっている。
100億円超で祈念公園整備
重機の音が響く中、大量の墓石や石仏が雑草に埋もれ、ひっそりと横たわっていた。東京電力福島第1原発から北に約3キロ離れた双葉町中野地区。周辺では津波で多くの住民が犠牲になり、原発事故の影響で行方不明者の捜索も遅れた。
避難指示は2020年春に解除されたが、居住者はいない。同年秋には、ガラス張りの巨大な県立施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」が地区内に開館し、現在は復興祈念公園を整備する工事が進んでいる。
公園は国と県が26年春の完成を目指し、100億円超を投じて双葉・浪江両町の集落跡地など計約50ヘクタールに整備する。「震災で犠牲になった生命の追悼と鎮魂の場」「ふるさとを離れた人々の心のよりどころ」をうたい、町境の10ヘクタールに国営の中核施設「追悼と鎮魂の丘」を建造。円形の丘は海抜16・5メートルの高さがあり、コンクリート製の内部空間を通って中腹の献花台に向かう構造になっている。内部では震災前後の映像などを流すという。
「そのままの姿で」保存望む声も
震災前、中野地区には共同墓地があったが、津波で壊滅。散乱した墓石や石仏は、がれき撤去工事の過程で跡地に並べられた。所有者の分かるものは行政区の呼びかけで希望世帯が回収したが、それ以外は放置されたままになっていた。
公園の整備を進める県は、23年秋に警察へ遺失物として届け、今年2月には両町の広報紙でも呼びかけたが、最終的に持ち主が現れなかった423点の廃棄処分を決めた。
墓地の周辺はそもそも、19年に公表された復興祈念公園の基本設計では「記憶と伝承の広場」として、被災物の屋外展示なども行うと例示されていた。だが、翌年の施設配置計画ではこの記述が消え、従来はその東隣に計画されていた広場の一部に変更された。盛り土をして芝生の多目的広場として整備するという。
所有者が分からなくなったとはいえ、墓の痕跡がなくなることには、違和感を抱く住民もいる。中野地区で被災した60代の男性は「個人的には、小さな看板でも立てて、双葉町に関心を持って訪れてくれた人に、そのままの姿を見てもらったら良いのではないかと思う」と話す。
同県南相馬市出身の作家、志賀泉さん(63)は23年3月、伝承館を訪れた際に周辺を歩いて石仏や墓石を見つけ、SNS(ネット交流サービス)で「ガラスケースの展示物だけでなく、こうした遺物を自分の足で探し、野ざらしの声に耳を傾けてほしい」と呼びかけた。
志賀さんは、墓石の処分や盛り土の計画について「墓石に名前が刻まれてきたのは、その土地を耕して守ってきた人たちで、彼らもまた被災した。土地に染みついた歴史や、そこで生きてきた人たちに静かに思いをはせる場を作るのが『慰霊』ではないのか」と疑問を呈する。
県は「墓石の保存検討せず」
県は行政区が再建した神社については公園内に保存し、残っている被災家屋2軒についても協議している。16日には工事関係者が現場で供養し、17日から墓石や石仏を搬出する予定だ。
県相双建設事務所の担当者は墓地の周辺について「一帯は移転補償などをして公園用地として取得済みで、墓地周辺はイベントなどに利用できる広場になる」と説明。墓石などの保存に関しては「個別に住民と協議したわけではなく、検討はしていない」としている。【尾崎修二】
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