いま鹿児島県警に注目が集まっている。法廷で”県警トップによる不祥事隠ぺい”を訴えた元県警幹部。彼のメディアへの取材協力行為は、違法な「秘密漏えい」か、それとも、正当な「内部告発」か。情報源が元県警幹部であることは、メディアに対する強制捜査で特定されたこともメディアの取材源を秘匿する権利を侵害しているとの指摘もある。
これは目新しい問題ではない。17年前にも奈良を舞台に起きていた。
2006年に母子3人が亡くなった放火事件。放火したのは16歳の長男だった。
この事件が起きた背景に迫った1冊の本『僕はパパを殺すことに決めた』が物議を醸す。
この本には長男の少年審判の供述調書が多数引用されていたことから、法務省が問題視。
奈良地検が、著者の草薙厚子さんの自宅等に異例の強制捜査に入る。そして、調書の入手先が審判で長男の精神鑑定を担当した崎濱盛三医師であったと特定。崎濱医師は秘密漏示罪で逮捕起訴された。一方、著者の草薙さんは、検察から19回取り調べを受けるも、不起訴(嫌疑不十分)となる。
情報源だけが罪に問われる形となった。
取材の情報源である人が誰であるか特定される情報を漏らさないことは、取材者にとって最も守るべき倫理規範とされる。強制捜査で情報源が特定され、情報源だけが立件されることは、取材者にとってはもっとも屈辱的な状況と言える。
著者の草薙さんに17年前の気持ちを尋ねた。
「気持ちが真っ暗でしたね。崎濱先生じゃなくて、私になってほしかった。私が逮捕起訴されるべきだったんじゃないかってずっと思っていました。本当にすまない気持ちでいっぱいでしたね。謝罪をしたいと弁護士を通じて申し入れていましたが、返事はもらえませんでした。本当は一緒に裁判を戦いたかった」
情報源を守れなかった草薙さんは強い批判に晒された。講談社の調査委員会の報告(2008年4月)は、崎濱医師に出版を事前に知らせていなかったこと等、取材手法に大きな問題があったことを指摘。ますますメディアは草薙さんに厳しい目を向けていくことになった。
こうしたメディアの報道状況を複雑な気持ちで見つめていた記者もいた。
当時週刊朝日の記者だったジャーナリストの諸永裕司さんに話を聞いた。
「情報源が罪に問われるのは、草薙さんだけでなくメディア全体にとって極めて大きな問題だと思っていました。情報源の方がいることで私たちは事実に近づくことができるのに、その方の口が封じられれば、私たちも社会も事実に近づくことができなくなる。検察権力が表現の自由に手を入れてきたことへの批判が私たちメディアに求められるのに、調査報告書も草薙さんの取材手法に批判が向けられていたので、当時失望した記憶があります」
調査委員会の報告書によって、「検察vsメディア」の構図が、“草薙バッシング”へと変わったのだろうか。講談社調査委員会の委員を務めた専修大学の山田健太教授(言論法)が、当時を振り返る。
「公権力の取材過程への介入については、調査委員会の調査の対象外でした。調査委員会の報告によってメディアの批判がより草薙さんに集中していった面はたしかにあったが、調査報告書の公表は強制捜査から半年後。本来は強制捜査が入った段階からメディアが問題にすべきだった」と話す。
ただ、山田教授は「表現の自由は弱いところから侵食される。鹿児島県警が強制捜査に入った先も小さなネットメディアだったが、同じように17年前も草薙さんがフリーのジャーナリストで批判を受けていたということが影響していたと思う。大手メディアが“周辺の”表現の自由に対する制約について無関心を装う風土があるのではないか」とも指摘する。
表現の自由に対する公権力の介入に対して、メディアはどう向き合うべきか。社会に関心を持ってもらう前に、まずはメディア自身が”当事者”として関心を持つことが求められているように思える。
(関西テレビ報道センターディレクター・上田大輔)
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