発災時間を知らせるサイレンの鳴る中、自宅跡に作った妻の祭壇に手を合わせる田中公一さん。月命日には欠かさず花を手向けてきた=静岡県熱海市伊豆山で2024年7月3日、若井耕司撮影

 28人が犠牲となった熱海市の土石流災害は3日、発生から3年を迎えた。被災地となった伊豆山地区の市立伊豆山小学校で追悼式が行われ、遺族のほか国や県、市の関係者ら約70人が出席して冥福を祈った。「7月3日は毎年きつい日。黙とうすると、当日の景色や亡くなった知り合いの顔が浮かぶ」。被災者からはいまだ癒やされない心の声がこぼれた。

 追悼式では犠牲になった28人の名前が一人ずつ読み上げられた後、斉藤栄市長や鈴木康友知事らがあいさつに立ち、一日も早い復興・復旧を目指すと誓い、出席者は祭壇に花を手向けた。

娘の慰霊を胸に鈴木知事(右)に訴えかける小磯洋子さん=熱海市伊豆山で2024年7月3日午前9時33分、丹野恒一撮影

「あれは防げた事件。事故ではない」

 追悼式の後には会場で遺族の小磯洋子さん(74)が鈴木知事に「原因究明は始まってもいない。娘の死を無駄にせず、ちゃんと向き合ってほしい」と訴える場面もあった。鈴木知事はうなずくだけで回答はなかった。

 小磯さんは長女の西澤友紀さん(当時44歳)を亡くした。報道陣に「1年も3年もない。同じ苦しみを今も抱えている。この日を機に一瞬でも自分の事として考えてもらいたい。悔しさは癒えていない。あれは防げた事件だ。事故ではない。市も県も検証して総括してほしい」と鈴木知事に声をかけた理由を明かした。

 父親を災害関連死で亡くした三重県鈴鹿市の無職、伊東真由美さん(60)も「どうして災害が起きたのか真相が知りたい。また伊豆山の復興は進まないがなくなってはいけない」と話した。

 土石流の一報が消防に入ったとされる午前10時28分には市内に追悼のサイレンが響いた。昨年9月に警戒区域が解除されたこともあり、今年は沿道のほか被災した住宅跡地で慰霊する姿も目立った。

献花する遺族=熱海市の伊豆山小で2024年7月3日午前9時23分、最上和喜撮影

 造園業の田中公一さん(75)は警戒区域解除後に自宅跡に設けた祭壇で妻、路子さん(当時70歳)を弔い、サイレンの流れる中、手を合わせた。追悼式は「行政の、メディアを集めた発表会と感じたから」と出席を見送った。自分で作った祭壇を前に「見守ってくれているかな。子や孫は俺がちゃんとするよと話しかけました」と目を潤ませていた。

 土石流に襲われた仲道町内会は現場を見渡す道路沿いに祭壇を設け、住民ら約10人が手を合わせた。元町内会長の高橋佐吉さん(73)は「地元の将来を背負う多くの人を亡くしてしまった。復興はまだほとんど進んでいない。できるだけ多くの人に帰ってきてほしい」と話した。

静岡知事「復旧復興遅れ否めない」

 鈴木知事は追悼式後、「復旧復興が遅れていることは否めないと思っている」と明かし「行政対応の失敗という第三者委員会の結論もある。しっかり受け止めて、再発防止に向けて努めていきたい」と語った。斉藤市長は「本格的に年明けから始まった復旧・復興事業は着実に進めることが市の使命だ」と話した。

 鈴木知事は復興計画改善案策定のための懇話会メンバーとも10分程度面談した。町内会や被災者代表、学識経験者らで構成されるメンバーのうち7人が参加した。被災者でもある委員の中島秀人さんは「強いリーダーシップでこの伊豆山を復興に導いてもらいたいという思いは(懇話会委員の)皆さん一緒だった」と話した。

 鈴木知事は面談後、用地買収を進める逢初川の拡幅工事現場も視察した。県職員から説明を受け、「ハードの復旧だけでなく、どういうコミュニティーを作っていくかが重要だと感じた」と話していた。【若井耕司、最上和喜、丹野恒一】

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