元日の夕方、石川県の能登半島を中心に、帰省した家族とのだんらんや親しい友人とのひとときを奪った地震から1日で半年を迎えた。災害関連死52人を含む281人が死亡した県内の被災地ではこの日、小雨がぱらつく中で手を合わせる人の姿があった。
夫婦で時計店を営む木下京子さん(62)=輪島市=は1日午前、高校の同級生が亡くなったという市内の「朝市通り」周辺を訪れ、アジサイの花を手向けて手を合わせた。2023年末にジムで同級生と顔を合わせて「来年もよろしく」とあいさつをした直後、地震が発生した。
あの日から半年が過ぎ「毎日が必死で、いつ何をしていたか記憶がない。半年の月日はあっという間だった」と振り返る。
地震直後は店を開きながら、炊き出しや救援物資のために列に並び、家や店の片付けに追われた。避難所で生活する中、盗難などのうわさを耳にし、店舗にあるお客さんの預かり物である宝飾品がどうなっているのか気になって眠れない日々もあった。
地震の前後で、お客さんとの会話も変わった。「孫がこれだけ大きくなった」「畑でナスがとれた」。これまでは平和でほっとする会話を楽しんでいた。
だが、今では2年後に仮設住宅を出た後の生活を心配する話ばかり。木下さんは「前向きとまではいかないけど、誰かのせいにするわけでもなく、ひたむきな気持ちでいたい」と話す。
輪島市内には、地震から半年がたっても倒壊した家屋がそのままだ。それでも木下さんは輪島への思いを語る。
「輪島の景色はすっかり変わったが、春には咲かないと思っていたサクラも咲き、大好きな海といった変わらないきれいな景色もある。市外に避難している人も輪島に帰りたいと思ってもらえるように良い町にしていきたい」
2月には、避難中だった93歳の母を亡くした。「復興とは忘れることなのか、前に進むこととは何なのかを考えてきた。忘れたくないことは忘れず、少しずつ前に進み、この町で生きていきたい」【長沼辰哉、面川美栄】
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