被爆地・広島の戦後復興を見守った老舗喫茶店「房州(ぼうしゅう)」(広島市中区千田町)が30日、閉店する。1935年にパン屋として創業し、原爆投下により店は焼失。翌年に喫茶店として再建し、焼け野原から復興する街とともに歩んできたが、建物の老朽化のため88年の歴史に幕を下ろす。
房州は、オーナーの市原董永(まさなが)さん(78)の両親がパン屋として営業を始めた。45年8月6日の原爆投下で、爆心地から南に約1・3キロの店は焼失したが、翌年には同じ場所で菓子と喫茶を提供する店として再開した。
原爆投下当時、母親の胎内にいた市原さん。物心ついた頃、店の周辺は更地のままの場所が多かったという。近くに広島赤十字・原爆病院があり、ケロイドが残る人が入院患者への手土産として菓子を購入する姿を覚えている。
市原さんは25歳から3年間、フランスで菓子作りを学んだ。74年、房州1階にフランス菓子店「ポワブリエール」をオープン。房州ではクレープやポタージュスープといった当時は珍しいメニューを提供した。広島大の学生や市役所の職員らが訪れるようになり、街の復興とともに店は繁盛した。一緒に切り盛りしてきた両親や兄が亡くなった後は、妻ジョスリーヌさん(70)と店を守ってきた。
店内は閉店を知った常連客らでにぎわい、感謝の言葉をつづった手紙も届く。同級生約10人と訪れた広島市中区の浜井美紀さん(71)は「中学生の頃から来ていて青春の思い出が詰まっている。卒業後も同窓会の場所として利用していた。なくなってしまうのは寂しい」と惜しんだ。
中区舟入南にあるポワブリエール本店は営業を続けるといい、市原さんは「今後もフランス菓子の魅力を伝え続けたい」と話した。【井村陸】
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