能登半島地震発生から、まもなく半年。いまだに2471人(18日現在)が避難所に身を寄せ、プライバシーのない生活に疲れを訴える人は少なくない。今後梅雨シーズンが本格化し暑さも厳しくなる中、避難者は先の見えない暮らしにストレスを強めているのが実情だ。
「プライバシーはあってないようなもの。この生活に、だんだん疲れてきた」。地震発生から5カ月が過ぎた6月上旬。石川県志賀町の地域交流センター内に設置された指定避難所に身を寄せる男性(67)は、こうつぶやいた。
男性は母親(87)と住んでいた同町の実家が全壊した。3月ごろに、1度は町内の仮設住宅に入れると町から知らせを受けたが、バリアフリー仕様ではなく、足が不自由な母の安全を考え辞退した。男性によると、避難所内は11日現在で約20人が滞在。それぞれの段ボールベッドの周囲には仕切りがあるものの、仕切る壁の高さは160センチ程度といい、立ち上がると少し隣が見える。通路とベッドのある空間とは遮る扉などがなく、プライバシーはほとんどないという。
夜は午後9時に消灯する。「真っ暗にはならないけど、寝る人もいるから静かにしないといけない。気を使うわね。よく眠れないし肩や腰など、体全体がだるくなってきた」と疲れをにじませた。
自主的にビニールハウスでの避難を続ける人もいる。自宅が全壊した輪島市長井町の元運転手、保靖夫(ぼうやすお)さん(70)は妻(67)や近隣住民と共に、自身が野菜を作っていた農業用ビニールハウス(幅6メートル、奥行18メートル)で今も暮らす。6月中旬、近隣の中学生1人、高校生1人の2人を含む3世帯7人が生活していた。寝泊まりは近くに立てたインスタントハウスや、倒壊を免れた農業用の小屋だが、火気厳禁のため、食事は公民館で配布されたレトルト食品を、ビニールハウスでお湯を沸かして調理している。生活に必要な水は保さんが日中にくみに行く。風呂やトイレは近隣の無事だった家に借りたり、公衆浴場を利用したりしている。
避難所へ移る機会もあったが、1月以降、一番多い時で5人いた10代の子供たちが「知らない人が大勢いるところに行くのはこわい」と嫌がったという。「年ごろの子供は人見知りもあるし、あまりプライバシーがない場所は難しい。無理に連れて行ってストレスをためてもいけないので、みんなで話し合って(ビニールハウスにとどまることを)決めた」。仮設住宅に申し込んでおり、今は市からの連絡を待っている。
心配なのは暑さだ。ビニールハウスには日差しを防ぐアルミシートや雨漏り防止のブルーシートをかぶせてはいるが、輪島市で32・7度を記録し真夏日となった12日、ビニールハウス内の温度計は32度を指した。暑さが増すにつれ、ハエなどの虫も増えている。「梅雨時のムシムシした暑さや、夏の本格的な日差しが心配。8月には仮設住宅に入れるとの話もあるが、それまで耐えられるか心配だ」と不安を口にした。
こうした状況に、県は5月以降、避難所での暑さ対策として、空調設備のない避難所で冷房機の設置を進めている。担当者は「仮設住宅の建設を進めているので、今しばらくお待ちいただきたい」と話した。輪島市は自主避難者への暑さ対策として「SNSや防災無線で熱中症や食中毒への注意喚起をしたい」とした。【国本ようこ】
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