金夏日さんの墓や石碑の前で、(右から)朴順子さん、金胎蓮さん、金亨坤さん=韓国・召保面で2024年5月、萩尾信也撮影

 5月下旬の韓国は、晴天が続きぬくもりに満ちていた。朝鮮半島南東部の港湾都市、釜山から車で2時間強。慶尚北道の山間にある村、召保面(ソボミョン)への道端は金鶏菊の黄花に彩られていた。群馬県草津町にある国立療養所「栗生(くりう)楽泉園」の入所者で、昨年96歳で逝った元ハンセン病患者の金夏日(キムハイル)さんの墓参りの旅だった。

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 夏日さんは、日本統治下の1926年に召保面近郊の村で生まれた。生後間もなく、父親は賭博の借金に追われて、単身日本に渡った。

 田畑は借金のカタに取られ、残された家族のうち2人の兄は奉公に出て、母親の日雇い仕事で糊口(ここう)をしのいだ。幼い夏日さんも野良仕事や、夜なべをして編んだカマスを背に8キロ歩いて市場に売りに行った。

 「通学する友達がねたましかった」。生前の夏日さんの述懐だ。「ハナ、ハト、マメ」。学校では日本人教師が日本語を教えていた。

 行方知れずになっていた父親から現金書留が届いたのは13歳の年明けだ。「家族で来るように」との手紙が添えてあった。うわさを聞きつけた借金取りから逃れるように、闇に紛れて家を出た。汽車と船を乗り継ぎ、玄界灘を渡って東京にたどり着いた。

金胎蓮さんが暮らす家は墓の傍らにある=韓国・召保面で2024年5月、萩尾信也撮影

 「やっと人並みの生活ができる」という期待はすぐに消し飛んだ。間借りのひと間に5人暮らし。廃品回収や道路工事で糧を得て、夏日さんも製菓工場で働きながら尋常小学校夜間部に通った。「仕事はきついが、ひとつ年上の女の子と仲良くなって映画や川に泳ぎに出かけるのが楽しみだった」

 来日3年目に、指がかじかんで菓子の袋詰め作業ができなくなった。病院で診察を受けた数日後、巡査がやって来て出頭を命じた。

 「警察署の前でバスに乗せられたら、一目でらい(ハンセン病)と分かる乗客がいた。都内にある療養所に行き、頭から消毒された」

 「赤紙が届いた時は、職員が『らい』の判を押し、『免除』と告げた。戦死した方がまし、と歯ぎしりした」

 「徴兵された長兄の代わりに家族を支えようと園を抜け出したが、空襲で焼け出されて、バラック小屋に兄の戦死公報が届いた」

召保面

 玉音放送の年に、目尻に病特有のしこりができて、楽泉園に入所した。戦後、母国に帰国していた次兄が園を訪ねて来たのは3年後。「韓国に戻ろう」と誘われたが、「迷惑をかける」と首を振った。次兄は母を連れて帰国。父は「夏日を置き去りにできない」ととどまった。両親は数年後に亡くなった。

 失明したのは、そのころだ。失意の中で、夏日さんは短歌と、舌で点字を読む「舌読」に出合う。思いを歌にして、聖書をむさぼるように読んで洗礼を受けた。「歌と舌読は闇に差す光だった」

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 80年代前半、毎日新聞前橋支局の記者だった私は、取材で楽泉園に通い、夏日さんと出会った。96年に強制隔離をうたう「らい予防法」が廃止され、日本政府が過失を認める以前である。

 2005年夏、私は夏日さんの里帰りに同行した。国家賠償を元に故郷に建立した金家の墓を訪ねる帰郷だった。在日の入所者の支援を続けてきた前橋市在住の朴順子さんと二人で、夏日さんが乗った車いすを押した。

 山を切り開いて墓地を整備してくれた、いとこの金夏慶(キムハギョン)さんらの歓待を受けた。「私もここで眠りたい」。夏日さんは思いを夏慶さんに託し、歌を残した。<車椅子道端に寄せて手に触るる山百合ゆたかな香りを放つ>

金夏日さん=2005年撮影

 それから18年後の昨年6月、夏日さんは息を引き取った。私はそのひと月前に、病棟に入院中の夏日さんを見舞い、言葉を交わした。「そろそろ逝くよ」「その時は韓国へお墓参りに行きますね」

 その秋、夏日さんのいとこの子供たちが遺灰を引き取りに来日した。夏慶さんは、夏日さんの1年前に84歳で亡くなっていた。

 そして一周忌を前に、朴さんと一緒に約束した墓参りに出かけた。

 夏日さんの遺灰はアカマツ林の墓地に納められていた。隣には両親が眠る円形の墓と、夏日さんの短詩を刻んだ石碑が立っていた。<遠くより鴉(からす)の声が時をりに聞こえてをりて山は静けし>

 「夏日さんと金家の墓は、父の遺志を継いで、私たちが守っていきます」。出迎えてくれた夏慶さんの長男、亨坤(ヒョンゴン)さん(60)の言葉。傍らで母親の胎蓮(テヨン)さんが笑みを浮かべてうなずいていた。【客員編集委員・萩尾信也】

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