ある中小企業が突然、不正輸出のぬれぎぬを着せられました。
捜査した公安警察の手法に疑念が持たれています。
その内幕を明らかにしようと、記者は追跡を続けました。
約1年にわたる取材録をつづります。
語り出した捜査員
今日も取材を断られるだろうか。そんな暗い予感が頭をよぎる。
少し肌寒くなり始めた2023年10月のある夜、とある住宅街。私(記者)はある人物の自宅インターホンを押した。
私は、警視庁公安部が主導した捜査にあやまちがあったのではないかと考え、取材をしていた。
その捜査とは、軍事転用可能な装置を不正輸出したと疑われた化学機械メーカー「大川原化工機」を襲った冤罪(えんざい)事件に関するものだ。
社長らが起訴された後、捜査機関が自ら起訴を取り消す異例の経過をたどっている。
この日、訪問したのは、この事件の内幕を知る立場の捜査員。
在宅しており、くつろいでいたのか部屋着姿だった。
それでも建物の外に出て、突然の私の訪問に対応してくれた。
以前も自宅を訪ねていた。その際は、相手が言葉を発することはほとんどなく、空振りに終わった。
だが、この日は違った。予想に反して会話が続く。
「捜査をおかしいと思った人はいっぱいいた。めちゃくちゃです」
捜査員が語り出した言葉は、怒りで満ちていた。
屋外で立ち話を始めて5分ほどがたっただろうか。
「今日はいける」。私は手応えを感じた。
衝撃の「捏造」発言、取材スタート
話は4カ月ほど前の6月30日にさかのぼる。
私は当時、東京・霞が関の司法記者クラブで裁判の取材を担当していた。
クラブ内の毎日新聞のブースで仕事をしていると、東京地裁で裁判を傍聴していた後輩の記者がノート片手に慌てた様子で戻ってきた。
「(警察官が)『捏造(ねつぞう)』って言ったんですけど」
後輩が傍聴していたのは、大川原化工機の捜査に携わった公安部の現職警察官4人の証人尋問。
大川原化工機側が公安部と東京地検による捜査の違法性を訴え、東京都と国に国家賠償を求めた訴訟で行われたものだ。
証言台の前に立った4人のうち警部補2人が公然と捜査批判を繰り返し、このうち1人が捜査について「まあ、捏造ですね」と衝撃的な発言をしたのだ。
後輩の報告を聞き、記者を束ねるキャップが驚いた顔で「本当にそんなこと言ったの? マジで?」と確認する。
後輩は「確かに捏造と言いました」と断言した。
国際テロ組織や過激派などによる事件を担当する公安部は、秘密を外に漏らさないよう保秘の徹底をたたき込まれているとされる。
捜査の内情は「秘中の秘」のはずだ。
公開の法廷で捜査に疑問を呈するのは異例中の異例だろう。
後輩とキャップのやり取りを横で聞いていた私は「捏造」という言葉にインパクトを感じたものの、それが真に意味するものがつかめていなかった。
公安部で何が起きていたのか。真相を探る取材が始まった。
つかんだ突破口
しかし、取材は一筋縄ではいかない。
多くの警察は、記者が個別に捜査員を取材することを禁じている。記者が接触してきた場合は上司に報告を求める「通報制度」も敷く。
実際、私が大川原化工機の事件で捜査関係者を訪ねても「守秘義務がある」「組織に連絡しないといけない」と断られることがあった。
関係が築けていない相手から話を引き出すことも簡単ではない。
相手がしゃべらなければ一方的に話し掛け、何とか会話の糸口を探る。逆に話に乗ってくれるようなら相づちを打ちながら話を広げる。
相手の表情や仕草、言葉の抑揚、すべてに気を配らなければならない。
こうした取材を続けるなかで、冒頭の捜査員に出会った。公安捜査の経験者で、今回の事件にも詳しいという。
立ち話に応じた捜査員は、しゃべっている間も横目で周囲の状況をちらちらと確認する。
会話中、ヘッドライトをつけた乗用車が低速で近付いてきた。
一瞬、会話が止まる。車が通り過ぎるのを見届けると、捜査員は静かに語り出した。
「法律の解釈をねじ曲げてやろうと思った。これがすべての始まりと聞いています」
その後も話は続いた。捜査員は表情を変えないものの口調は熱を帯びていった。
立ち話が始まってから30分ほど。薄着だった捜査員は、体をさする仕草をした。
「もう、このくらいで」の合図だろう。会話を切り上げようとした。
すると、捜査員は最後にこう付け加えた。
「あまりにも組織が変わらない。また同じようなことをやりますよ」
私は頭を下げ、最寄り駅に向かって歩き出した。興奮冷めやらぬまま、同僚にメールを送る。
「捏造の構図が分かった」
【遠藤浩二】
(警察官の肩書は原則、当時のものを使います)
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