[東京報道プラス][アクロス沖縄](198)沖縄料理店 東京で3店舗経営 久高唯俊さん(37)=うるま市出身
人も情報も集まる東京で働き、生活することで「成長できた」と断言する。都会に憧れ、19歳で上京。いろいろな人たちにもまれながら接客や調理技術を身につけ、沖縄料理店3店舗を経営するまでになった。自身の経験から「都会で挑戦する若者を支え、成長を後押ししたい」と考え、2年前に社員寮を設置した。「沖縄に戻ってもいい。まずは東京で挑戦してほしい。成長する人が増えれば、沖縄の活性化にもつながるはずだ」と力を込める。
上京してすぐの仕事は、銀座の沖縄料理店でのアルバイトだった。接客も調理の経験もない。イチから学ぶ忙しい日々だったが、最大のショックは故郷の沖縄について何も知らないことだった。
東京の沖縄料理店には沖縄ファンも多く訪れる。一方、自分は首里城にすら行ったこともない。客から沖縄について質問されても、何も答えられない。「お客さんの方が詳しかったりして、これまで無関心だった自分を恥じた」。それからはネットや書籍で、沖縄の歴史や文化について勉強するようになった。
接客から学ぶことも多かった。「お待たせしました!」と威勢よく料理を出したら、客が「気持ちいいな」と千円のチップをくれた。「店員の表情一つで、お客さんの気持ちが上がりもするし下がりもする」ことに気付かされたという。
「飲食店の集まる東京は料理がおいしく、内装がきれいなのは当たり前。常連になってもらう決め手は店員の人柄だ」と強調。来店客の一歩先を考えて行動するようになり、常連も増えていった。
港区にある沖縄料理店「古酒と沖縄料理 青空」を引き継ぎ、27歳で独立。「漠然とした憧れだけで上京したが、さまざまなことを経験して成長できた」と振り返る。
「店舗は沖縄を宣伝する最前線」とも表現する。ナーベーラーやニガナ、アカジンミーバイ、マクブなど、旬の県産食材にこだわって提供。舌の肥えた客に収穫の時期や産地、調理方法を解説すると喜ばれるという。
故郷の若者たちには東京に出て、多くの経験を積んでほしいと願う。「若いうちは伸びしろしかない。失敗も経験の一つになる。上京も考えてみてほしい」
2022年、赤坂に青空2号店、秋葉原に「沖縄游食 ちむどんどん」を相次いでオープン。合わせて社員寮も設置し、「バッグ一つで上京できる環境」を整えた。住む場所も提供することで、若い世代の上京を後押しする。今は4人の県出身者が暮らしている。
「沖縄に帰っても、東京で独立してもいい。経験を積み、成長することが沖縄のためになる。これからが楽しみな若者たちを見守りたい」と話した。(東京報道部・照屋剛志)
くだか・ただとし 1986年生まれ。うるま市出身。石川高卒。19歳で上京し、沖縄料理店で働く。27歳で「古酒と沖縄料理 青空」を引き継ぎ独立。現在は3店舗を経営する。
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