戦後79年となる2024年夏、大分県大分市にある特攻隊員の遺品などを展示する資料館が閉館します。
やむなく決めた閉館ですが、資料館を開いた亡き父の思いを後世につないでいこうとする家族の姿を取材しました。


大分市上野丘にある予科練資料館です。

ここは海軍飛行予科練習生・通称「予科練」出身で元特攻隊員の川野喜一さん(2021年に95歳で死去)が1988年に自宅を改修して設けた資料館です。

喜一さんは生前、見学に来た人たちに資料館を開いた理由を次のように説明していました。

――川野喜一さん(故人・2015年撮影)
「死ぬ直前に生かされた。だから、亡くなった多くの戦友の慰霊をお前はやれと」

喜一さんが亡くなった後は大分市に住む長男の孝康さん(68)が管理を引き継いでいました。
しかし・・・

――喜一さんの長男・孝康さん
「私が亡くなった後のことを考えると、 慰霊と展示品がどうなるのか不安になり、父の思いが引き継げられないと思った」

自分の後の管理の担い手がいないことから、孝康さんはやむなく2024年8月に閉館することを決断しました。

展示品は大分県護国神社が引き継ぐことになり、運び出しの作業のため、見学の受け付けは5月25日で終了。
そのため、5月は最後の見学を希望する多くの人たちが訪れました。

戦争資料の保存などに取り組むアメリカの研究所の学芸員の女性もその1人。
日本への出張中に閉館を知り、急きょやって来ました。

――スタンフォード大学 フーバー研究所 上田薫さん
「こういう絵も描いた人の幼さが残っている。1つ1つの声が重要だと思う」

また、若い世代の見学者の姿も見られました。

――中学生
「これから私たちがどう生きるか、考えさせられた。国のリーダーは簡単に戦争とか言わないでほしいと思った」

展示品を県護国神社に移す作業が本格化するのを前に、5月26日、資料館では閉館式が行われました。

式には神奈川県に住む孝康さんの妹と弟も出席しました。

――喜一さんの長女・萱島純子さん
「護国神社であれば、ずっと続いていくと思う。すごく安心。ただ、ここがすっぽり無くなるのは寂しい」

閉館に向けて、県外のきょうだいたちも兄をサポートしています。
弟の浩二さんが行っているのは、資料館外に展示されているゼロ戦や一式陸上攻撃機のプロペラ、「予科練の碑」の移設費用を募るクラウドファンディングです。

――喜一さんの次男・浩二さん
「経費を捻出したいのもあるが、こういう資料館が大分にあったということを少しでも最後に 多くの人たちに知ってほしい」

もう見学はできなくなった資料館ですが、実は新たな取り組みも。
ホームページで公開を始めたのは館内の360度画像です。

――喜一さんの長男・孝康さん
「父が思ったのは平和。戦争は絶対にしないようにと。そのことを感じてもらえると助かる」

やむなく閉館する予科練資料館。
しかし、戦争の記憶を後世に伝えていきたいという父の思いは家族たちにしっかりと受け継がれています。

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