上演後に斉藤正恵さん(中央)を囲んだ出演者ら=大阪市中央区で2024年4月6日午後2時8分、宇城昇撮影

 偶然の巡り合わせは、実は必然だったのかもしれない。79年前の広島。生き残った負い目から、作家は同級生たちが強いられた不条理な死を記録して後世に残した。その情熱に触れた人たちは、突き動かされるように継承の遺志に応えている。大阪を磁場にヒロシマと人々がつながる物語を紹介したい。

 亡くなって3年になる作家の関千枝子さん(享年88)。代表作「広島第二県女二年西組 原爆で死んだ級友たち」(筑摩書房)は米軍が投下した原爆で広島が焼き払われた1945年8月6日朝、関さんが通っていた広島県立広島第二高等女学校の生徒らを襲った悲劇を描いたノンフィクション作品だ。

犠牲者の追悼を終えて語り合う関千枝子さん(左)と山根(旧姓・藤井)秀子さん=広島市中区で2010年8月6日午前8時25分、加藤小夜撮影

 広島市に住む斉藤正恵さん(64)は2007年、滞在していた大阪市内で立ち寄ったギャラリーにあった1冊に目が留まった。「母がそういう名の女学校に通っていたと聞いたような……」。軽い気持ちで手に取り、ページを繰っていくうちに驚いた。そこには母についての記述があった。しかも消息不明者として……。

 大阪市で生まれた関さんは父の仕事の関係で戦時中に広島に移り住み、原爆投下時は2年西組に所属していた。あの日、西組の生徒は爆心地の南1・1キロの広島市役所近くで、空襲に備えて建物を取り壊して防火帯を築く「建物疎開」の作業に動員されていた。至近距離で熱線と爆風に直撃され、現場にいた39人のうち38人が2週間以内に命を落とした。ただ、7人が病欠などで作業現場に行かず助かっていた。その1人が関さんで、斉藤さんの母もそうだった。

 関さんは大学進学で上京し、毎日新聞記者などを経て作家になった。戦後30年ほどたってから、遺族や関係者への取材を始めた。娘を奪われた家族の悲憤と苦悩に耳を傾けながら、10年がかりで1冊にまとめた。方々を訪ね歩いた関さんが、最後までたどり着けなかった級友が藤井秀子さん――斉藤さんの母・山根秀子さんだった。藤井は結婚前の旧姓だ。

 広島に戻った斉藤さんは母にいきさつを話し、関さんの連絡先を調べて電話をかけた。「私はあなたの本にある藤井秀子の娘です」。受話器の向こうで関さんは叫んだという。「藤井秀子さんは生きているの!」。その年の秋、広島を訪れた関さんは62年ぶりに秀子さんとの再会を果たした。関さんは2010年の増刷版でその経緯を加筆し、同年の原爆の日には秀子さんも一緒に級友たちの慰霊碑を訪れた。

 秀子さんは13年に81歳で亡くなった。「何かに導かれるような出来事でした」と振り返る斉藤さんと関さんの交流はその後も続いた。「生きている限り書き続けます」。決意をしたためた年賀状を斉藤さんが受け取った翌月の21年2月、関さんも世を去った。「ご本人がいちばん無念だと思います」と語る斉藤さんが悔やむのは前年夏は自身の体調不良で、関さんと会えなかったことだった。

 新型コロナウイルス禍で平和記念式典が縮小開催された20年夏も関さんは広島を訪れていた。このとき、大阪の演劇関係者らが炎天下、関さんが卒業した高校の慰霊碑や被爆建物などを一緒に巡っていた。

「朗読劇、いつか広島で」

 関さんは「広島第二県女二年西組」の演劇用の脚本も執筆していた。それを託されたのが劇団大阪(大阪市)の代表などを務めた演出家の熊本一さんで、関西の市民劇団などが長く上演してきた。劇団大阪に在籍した森山京子さん(65)はその内容に衝撃を受け、「この作品を広めるために」と仲間と立ち上げた「+Do(ぷらす・どぅ)の会」で19年から朗読劇の公演を始めた。関さんとも会い、手紙などでやり取りを重ねた。

 森山さんにとっても関さんの他界は残念でならなかった。関さんは大阪で活動する自分たちをいつも励ましてくれた。くしくも亡くなる前月に核兵器禁止条約が発効し、まるで見届けるかのような別れだった。

 関さんの没後3年を過ぎた4月6日、「+Doの会」の公演が大阪市内の小劇場であった。俳優5人による約1時間の熱演を拍手でたたえた満場の観客の中に、広島から駆けつけた斉藤さんの姿もあった。関さんは生前、森山さんたちに斉藤さんを紹介していた。

 上演後、出演者らに囲まれた斉藤さんは「母のことも演じていただき感無量です。このつながりをこれからも大切にしていきたい。関さんが見守ってくれています」と語った。

 いつか広島での公演を実現したい――。森山さんや斉藤さんたちの思いだ。【宇城昇】

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