笑顔の2人が握手する様子をデザインしたハート形のクッキーが、能登半島地震の被災地で販売されている。製造するのは、石川県穴水町に10坪ほどの自宅兼店舗を構える小さな洋菓子店だ。パティシエになる夢を実現し、修業後に帰郷した店主はクッキーに願いを込める。「地震を通して広がった人との縁がずっと続きますように」
駐車場や建物に地震の爪痕が残る「道の駅あなみず」。3月下旬、近くにある「お菓子工房Hanon(ハノン)」に同県七尾市から女性客が来店した。
地元産の塩や大豆で加工されたきな粉が使われたクッキーなどが陳列されている。女性客が手に取ったのはレジ横に並ぶ「復興クッキー」。「知人からいただいたのがうれしくて、私もお世話になった人にあげようと思うんです」と話すと、店主の滝川若葉さん(52)は「地震が起きてから人との触れ合いが増えましたね。一緒に頑張りましょうね」と笑顔で応じた。
滝川さんは同県輪島市出身。小学5年の時、友人の母親がクリスマスパーティーで焼いてくれたイチゴのショートケーキに感動した。「周りの人に喜んでもらえるお菓子を私も作りたい」とレシピ本を買って身近なお菓子作りに熱中した。
穴水で開店「『まれ』みたい」
都心から離れた能登地方では入手できる材料に限りがあったため、「外に出て学びたい」と県立輪島高を卒業後、大阪市の辻製菓専門学校(現・辻調理師専門学校)に進学。さらに神戸市で6年間見習いとして働いてから渡仏し、老舗店やレストランで腕を磨いた。
帰国後の2012年、穴水出身の夫との結婚を機に「Uターン」。同居する義母が高齢のため閉店した自宅1階の食料品店を改装し、18年10月にハノンをオープンさせた。こうした経歴が、15年度前期のNHK連続テレビ小説で能登地方を舞台とした「まれ」の主人公と似ていることから、地元の人たちからは「まれみたいだね」と親しまれることも。滝川さんは「そんなに美しいエピソードじゃないですけどね」と苦笑いする。
平穏な暮らしは元日に一変した。親族宅でおせち料理を食べ、輪島の実家に向かおうとしていたところ、強い揺れを感じた。窓ガラスが割れるなど家屋は一部損壊。身動きが取れず、車中で一夜を過ごした。車載のテレビで実家近くの「朝市通り」一帯が焼けるニュースを見て「爆弾が落ちたみたい」と現実を受け止められなかった。幸い親族に大きなけがはなかった。
翌朝、帰宅すると店舗は倒壊を免れ、地盤隆起の影響で引き戸が開きづらくなる程度で済んだ。2月中旬までに電気と上水道が復旧し、オーブンが使えることがわかった。ただ、被害が深刻で先行きを見通せない店舗が数多くある中、「自分だけ営業を再開していいのか」という葛藤があった。
後押ししてくれたのは周囲の声だった。地元やボランティアの人たちから「お店、続けられる?」「再開したら買いに行くね」と励まされた。「人のぬくもりを表現しよう」と長女あす菜さん(10)とデザインを考案した復興クッキーの型を、神戸の製造会社に発注すると無償で提供してくれた。
「周囲からの応援に自分自身も元気をもらえている」。そう感じ、2月19日に営業を再開させると、県内外から問い合わせが殺到。1カ月で約2000枚が売れ、「体に気をつけてね」とねぎらいの言葉を掛けてもらうこともあった。
「がんばろう能登」
神戸で修業中の1995年に阪神大震災に遭遇した経験も原動力になっている。震災1カ月後から働いていた店舗は、ケーキを買い求める来客で混み合った。当時は「被災者へのお見舞いで買うのかな」と思っていた。今回の地震を通じて、物心両面で喜ばれるお菓子の意義を再認識した。
店舗は自分を含めて2人で切り盛りしており、早朝から深夜まで働き詰めだ。「復興が道半ばな被災地で『一緒に頑張ろう』という思いをつなげるように自分にできることを続けたい」と滝川さん。「甘いお菓子で少しでも心を癒やしてもらえれば」との思いも込め、焼き続けるクッキーにはこう刻んだ。「がんばろう能登」【山本康介】
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