4月から東大大学院博士課程にも在籍する岩手県陸前高田市防災課長の中村吉雄さん=同市で2024年5月7日午後3時40分、奥田伸一撮影

 東日本大震災で大きな被害があった岩手県陸前高田市で防災課長を務める中村吉雄さん(51)は今春、東京大大学院博士課程に入学し、災害情報学の研究に励んでいる。公務員の仕事と研究を両立させる日々は多忙だが、「進化する防災研究の最新の知見を行政に取り入れたい」と意気込む。

木曜に上京、週末に学ぶ

 中村さんは4月から東大の総合防災情報研究センター長を務める関谷直也教授の研究室に所属。博士や修士課程などの20人あまりと共に学んでいる。

 生活は一変した。木曜の閉庁後に在来線や自家用車、新幹線を乗り継いで上京。週末に研究室のゼミに出席したり、図書館で資料を検索したりする。再び地元に戻るのは月曜になることも。平日に東京に滞在する時は有給休暇を取り、ゼミの担当教員らとのやり取りはオンラインも活用する。

東京大学のシンボルの一つ安田講堂=東京都文京区で2023年7月4日午前11時16分、北山夏帆撮影

 学費や交通費がかかるが、給与や蓄えを充てている。社会人や学部卒の若者らと過ごす時間に「多様な価値観を認め合いながら、防災に関する見識を深められる」と手応えを感じている。陸前高田で暮らす妻、母も新たな挑戦を応援してくれているという。

都市防災研究から東北へ

 兵庫県芦屋市出身で、災害との関わりの原点は1995年1月の阪神大震災だ。自身は東京都内の大学に進学していたが、複数の友人がマンション高層階にある実家を訪ね、一人で取り残されていた母親を救い出してくれた。「これこそが地域住民が助け合う『共助』だと思った」と振り返る。

 当時の災害対応は建造物などハード面が中心で、被災者支援などのソフト面に関する認識が低いと感じていた。「ならば自分が勉強しよう」と東京都立大大学院に進み、都市防災を学んだ。大災害発生時の避難所としての学校の役割と課題について研究し、修士号を取った。

東日本大震災2年後の2013年3月11日、岩手県陸前高田市で傷んだままの歩道を歩く女性。中村吉雄さんはこの翌月、同市に赴任した=小川昌宏撮影

 大学院修了後は首都圏で働き、専門学校の幹部教員だった2011年3月に東日本大震災が発生。個人で防災の研究を続けていた中村さんは、岩手県を通じて陸前高田市から「震災検証報告書の作成や防災行政全般を手伝ってほしい」と依頼され、県の任期付き職員として13年4月に市に赴任した。

「防災研究の進化はすさまじい」

 市中心部が広範囲に津波で浸水し、1800人以上が犠牲となった陸前高田市。ベルトコンベヤーで大量の土砂を運ぶかさ上げ工事が進む中、14年7月に報告書を完成させた。その後は東京に戻ることも考えたが、当時の市長から「報告書の内容を実践してほしい」と請われ、15年4月に正規の市職員になった。

 50代になって大学院で再び学びたいと考えたのは、防災課長としてさまざまな専門家と接して「防災研究の進化はすさまじい」と実感したのがきっかけだ。新型コロナウイルス感染が拡大した20年以降は論文を読む時間も増え、最先端の研究への思いが強まった。「結果はどうであれやってみよう」と受験を決意。昨秋から半年間の準備で合格した。

「奇跡の一本松」が残る高田松原津波復興祈念公園の向こうから昇る朝日=岩手県陸前高田市で2023年3月11日午前6時1分、和田大典撮影

 災害情報学は、情報が避難など災害時の人の行動にもたらす影響を探る。中村さんは「今後、人口減が進むことによって自治体職員数の減少も予想される。低コストで持続可能な災害情報伝達システムや、住民の確実な避難行動に結びつく伝達手段を検討したい」と話す。

 博士論文は専門家が評価する査読付き論文3本を書き上げて初めて着手することができる。ハードルは高いが「どんな形であっても研究を社会に生かし、人の役に立つ」。学位の先に、さらに大きな目標を掲げる。【奥田伸一】

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