「生きている間に解決してほしい」と話す北三郎さん。仲間や支援者に手作りの花を贈り続けている=西東京市の自宅で2024年4月23日、上東麻子撮影

 旧優生保護法(1948~96年)下で手術を強制された被害者らが国に損害賠償を求めた訴訟について、最高裁大法廷は29日に弁論を開く。旧優生保護法が憲法に違反していたかなどについて夏にも統一判断を示す見通しだ。手術を受けてから半世紀以上が経過しているが、全国各地で訴訟が提起されており、今もなお苦しむ被害者は多い。最初の提訴から6年以上が経過し、被害者は高齢化している。全面解決を願う原告や家族の思いは切実だ。【上東麻子】

 「長いね。やっぱり国と闘うのはこれだけ長くかかるのか」。2018年5月に東京地裁に提訴した北三郎さん(活動名、81歳)は長引く裁判にため息をつく。

最高裁は最後のとりで「全面解決を」

 複雑な家庭環境から生活が荒れ、仙台市の児童自立支援施設に入れられた14歳の時、不妊手術を受けさせられた。旧優生保護法による手術と知らず親を恨み、故郷を離れた。

 上京後は解体業の職人としてまじめに働き、28歳で結婚。子どもを望む妻には死の直前まで40年間、手術のことは打ち明けられなかった。

「生きている間に解決してほしい」と話す北三郎さん。仲間や支援者に手作りの花を贈り続けている=西東京市の自宅で2024年1月22日、上東麻子撮影

 22年3月の東京高裁判決は不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用することは「著しく正義・公平の理念に反する」として国に賠償を命じた。判決後、裁判長から「決して、人としての価値が低くなったものでも、幸福になる権利を失ったわけでもありません」と言葉をかけられ、「やっと裁判所は分かってくれた」と感涙にむせんだのもつかの間、国が上告した。

 一連の裁判では提訴した39人中6人が亡くなった。北さんは「同じ被害に遭った人が一人でも名乗り出てくれたら」との思いで顔を出して発言し、他の原告とも交流してきた。

 今年2月に79歳で亡くなった熊本の原告、渡辺数美さんには3月に会う予定だった。「渡辺さんは『国は自分たちが死ぬのを待っているんじゃないのか』と話していた。最後までがんばろうと励まし合っていたのに……」と声を落とす。

 妻を亡くしてからは質素な一人暮らしだが、「お金じゃない。国に謝ってもらいたい」と言い、被害者に支給される一時金を申請していない。

 さみしさを紛らわせるために和紙で作り続けている紅白の梅は、コサージュとして支援者らが身に着けるようになった。「梅の花は寒さに耐えて咲いてくれる。寒さに負けずみんな元気でいてほしい」との願いを込める。

集会で強制不妊問題の早期解決を訴えた原告の飯塚淳子さん(活動名、手前中央)=千代田区の衆院第1議員会館で

 「20年で時間切れと言われても被害者にとっては関係ない。このままでは死んでも死にきれない。最高裁は最後のとりで。全面解決のために決着をつけてほしい」

役場の対応、ネットの中傷…根強い障害者差別

 北さんと同じ思いを抱く被害者は多い。

 「障害者差別に終止符を打つような判決を願っている」。18年1月、最初に仙台地裁に提訴した佐藤由美さんの義姉、路子さん(いずれも仮名、60代)もその一人。

旧優生保護法の下で不妊手術を強制された原告の夫婦。名古屋地裁での勝訴の判決を受け、抱き合って喜ぶ尾上敬子さん(左)と夫一孝さん=名古屋市中区で2024年3月12日午後3時24分、兵藤公治撮影

 知的障害のある由美さんは15歳で強制的に手術された。路子さんは結婚後まもなく義母から手術のことを打ち明けられたが、義母の悲しそうな表情にそれ以上、事情を聴けなかった。

 しかし昨年6月の仙台高裁判決は、義母が路子さんに手術について伝えたことを挙げ、賠償請求権が消滅していると判断し敗訴した。「あの時代の障害者をとりまく実情を全く理解していない」と路子さんは憤る。

 由美さんと長年共に暮らし、支えてきた。由美さんが子どもたちの世話をしてくれることもあり、子どもたちは障害者を当たり前に受け止める人間に育った。

 一方で、役場では義母が福祉の手続きに行くと「今度は何がほしくて来たの?」と言われるなど「厄介者扱い」されることもあったという。

 障害者差別はまだ根強いと感じている。裁判が報じられる度に、インターネット上の「障害者のくせに」「強欲だ」といった心ない投稿に胸を痛めてきた。「最高裁でも負けたら、また障害者がばかにされてしまう」と危機感を募らせる。

札幌高裁前で「不当判決」の紙を掲げる原告側の弁護士=札幌市中央区で2023年6月16日、貝塚太一撮影

 それでも被害を訴える人が増え、関心は広がったと感じている。望むのは差別のない社会だ。認知症になり今は施設で暮らす由美さんには、決着がついてから報告するつもりだ。

 「法律によって健康な人の体を傷つけてきたことは国の恥だと思う。それを認めず反省もないなら未来はない。義妹にも誰にでも一人一人に人権がある。障害者を守れる社会になってほしい」

旧優生保護法を巡り、国に損害賠償を求めて提訴するため、福岡地裁に向かう朝倉典子さん(仮名、右)と夫。夫は2021年5月に亡くなった=福岡市中央区で2019年12月24日午前9時56分、宗岡敬介撮影

裁判で広がる支援の輪

 裁判を通じて支援の輪も広がった。22年5月に各地の支援団体や障害者団体でつくる「優生保護法問題の全面解決をめざす全国連絡会」(優生連)が発足し、現在24団体が参加する。最高裁に正義と公平の理念にもとづく判決を求めた署名32万3104筆を4月下旬に提出した。

 各地の裁判所で合理的配慮が少しずつ進んだのも成果の一つだ。原告は聴覚障害、視覚障害、知的障害がある人が多く、さまざまな障害者も傍聴に訪れたためだ。

 優生連によると要望の結果、傍聴者向けに手話通訳の配置を認める▽介助者は抽選なく入れる▽文字通訳用の字幕表示ディスプレーの置き台と電源タップの用意――などがされるようになった。ただ、裁判所ごとに対応はばらばらだという。

 また裁判所は手話通訳、文字通訳費用を負担しないため、原告や傍聴者の負担は大きい。このため優生連や弁護団は、最高裁に手話通訳、文字通訳の公費負担や合理的配慮を要望。最高裁は「検討中」としている。

 ◇旧優生保護法

 「不良な子孫の出生防止」をうたい、障害者らに本人の同意を得ずに強制的な不妊手術をすることを認めた法律。1948年に施行。国際的な批判を背景に96年、障害者差別の条項を削除して母体保護法に改定。2019年に被害者に一時金を支給する法律が成立。少なくとも約2万5000人に不妊手術が施された。10都道府県で裁判が継続中。このうち、東京や札幌、仙台、大阪の高裁で判決が出され、上告中の5件について、当事者の主張を聞く弁論が29日に最高裁で開かれる。

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