書画や陶芸、料理など多方面に才能を発揮した芸術家、北大路魯山人(1883~1959年)の旧宅を移築した「春風萬里荘(しゅんぷうばんりそう)」(茨城県笠間市下市毛)で5月初め、かやぶき屋根の一部ふき替えが仕上がった。魯山人ゆかりの住まいでは唯一現存する建物で、関係者は「恒久的に残したい」と決意する。ただ実現まで2年かかった工事の内幕を取材すると、国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産でもあるかやぶき屋根を維持する難しさが見えてきた。
春風萬里荘は笠間日動美術館(同市笠間)の分館。江戸中期~後期の入り母屋造りの民家で、昭和の初めに魯山人が神奈川県の北鎌倉に移し、自らの住居として使っていた。1965年に日動画廊が笠間に移築し、72年から一般公開している。
今回ふき替え工事が行われたのは、北側の屋根約200平方メートル。2012年にふき替えたが、コケが生えるなど傷みが目立っていた。
同美術館管理部長の亀山浩一さん(59)によると、かやぶき職人の手配が難しく、本格的に工事が始まったのは、依頼してから2年後の今年3月だった。更に3月末には、3人いた職人が1人減った。悪天候の日も重なり、その頃に見込んでいた完成はずれ込んだ。5月3日にふき替えが終わり、8日に足場を撤去した。
担い手確保が課題に
かやぶき屋根を含む「伝統建築工匠の技」は20年にユネスコ無形文化遺産に登録されたが、担い手確保は全国的な課題となっている。
かやぶき文化や技術の継承に取り組む一般社団法人「日本茅葺(かやぶ)き文化協会」(つくば市)によると、1995年には全国に約1300人の職人がいたが、約9割が60歳以上だったという。同協会は残りの約1割と、協会内の職人連合に所属する110人を合わせても、現在の職人数は200人弱とみている。
今回修復を担当した歴史施設「常陸風土記の丘」(石岡市染谷)のかやぶき職人、江戸達郎さん(34)も職人の減少を年々感じている。今回のように、依頼を受けてから待ってもらうことも多く、心苦しいという。修復を終え「お客さんに喜んでもらえるように、今持っている自分の力は出しきった。仕上がったばかりは屋根の色合いがきれいなので、見ていただければ」と語った。
同協会などによると、材料となるカヤを採取する「茅場」と呼ばれる草原も減っている。多額の費用も必要で、美術館では23年にクラウドファンディングを実施し、集まった約200万円を費用の一部に充てている。
亀山さんは「維持管理は大変だが、かやぶきをやめてしまうのは寂しい。魯山人ゆかりの住まいはここにしか残っていないので、ずっと保存していかなければ」と話している。【鈴木敬子】
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