温暖な気候を好み、東北では希少な日本在来種のシロバナタンポポが青森県板柳町で育っている。名前の通り白い花を咲かせ、主に西日本に分布する。町内には約200年前の江戸時代に持ち込まれたという。雪深い東北でなぜ生き残ったのか。
シロバナタンポポが残るのは、中世から戦国時代にかけて活躍した北畠(きたばたけ)家が築いたとされる古舘城址(ふるだてじょうし)内の庭園だ。江戸時代に北畠家に滞在した紀行家の菅江真澄(すがえますみ)(1754~1829年)が薬草として持ち込み、北畠家の人たちが代々守り続けてきたという。
北畠家の分家の子孫にあたる北畠清美さん(29)は、庭園の管理を任されていた祖父武基さんがシロバナタンポポを大切に育てていた姿を覚えている。積雪のある地域では自生が難しいため、種を取って温室で増やそうと試みていたこともあった。子どものころは20株程度はあったという。
しかし、その数は年々減っていった。祖父は「(タンポポを)無くせばまいねよ(無くしたらダメだ)」と言い残して亡くなった。
「このままでは『菅江真澄から託された』といういわれだけになる。何とかしてシロバナタンポポそのものを残せないか」
祖父の死で危機感を持った清美さんは2021年、保全プロジェクトを始めた。絶滅が危惧される植物の保全に関わってきた弘前大の勝川健三教授(農学)や学生たちも協力してくれた。庭園に残るわずかな株は弱っていて種から増やすことができなかったため、組織培養で株を増殖させた。
今年5月3日、清美さんの呼びかけで、勝川教授が増やした約160株を地元の子どもら約60人が板柳町内のホールの花壇に植えた。町立板柳北小3年の黒滝桃李さん(9)は「白くてかわいい。板柳にずっと残っているのがすごい」と話した。
勝川教授は「地元の人たちが何世代にもわたって残してきたシロバナタンポポは、その営みそのものが残すべき文化だ」と訴える。清美さんはイラストレーターとしても活動していて「絵本を作って、町の歴史とともに生きてきたシロバナタンポポのことを子どもたちに伝えたい」と語った。【足立旬子】
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