異次元緩和に幕引きした3月の記者会見で、植田総裁は今後の金融政策を「普通」と称した。過去も未来も、現実は異なる。

4月26日の総裁会見で「円安は物価に大きな影響を与えていない」と述べ円安が加速したが、連休明けの発言には変化も(写真:Bloomberg)

「金利を動かして経済・物価を安定化させる」のは、教科書的な「普通の金融政策」だ。3月19日の金融政策決定会合で、マイナス金利を解除し、政策金利をプラスにした日銀はやっと「普通の金融政策」に戻ったとも言える。

ただし、過去を振り返ると、日銀は「普通の金融政策」を運営した実績はほとんどない。金利規制がない自由な金融システムにおいて、独立した金融政策で経済・物価の安定化を図るのが「普通」だとすれば、ほとんど幻影に近いかもしれない。

かつて「普通」になりかけた時期もあるが、為替への隷属を強いられた。今回も同様の運命をたどる、と懸念される。

1990年前半に訪れかけた「普通」

「普通の金融政策」を少し詳しく説明すると、金利規制の撤廃で金融が自由化された中、市場の資金を供給・吸収する公開市場操作(オペ)を通じた金利誘導を軸足にして経済・物価を安定化させる、というものだ。

この観点で近代の金融史を振り返ってみると、日本で金利規制が完全になくなったのは1994年の「普通預金の金利自由化」だった。一方、日銀の金融政策も長らく、市場金利よりも低い公定歩合で銀行に対して裁量的に貸し出す「窓口指導」が主力となったが、それが廃止されたのは1991年だった。

金利規制の自由化や金融市場の発達で金融機関や企業の資金調達手段が多様化し、「窓口指導」が有効性を失い、オペによる金利誘導が重要性を増した経緯は、雨宮正佳日銀副総裁(2019年当時)の講演『日本の経験と中国―金融政策と金融システム―』が詳しい。

かつては日銀は、「公定歩合」の上げ下げと「窓口指導」を駆使して金融政策を運営したが、1990年代前半から半ばにかけて、やっと金利誘導に軸足を置いた金融政策が運営できるようになった。

ところが、オペで金利誘導する状態になったものの、肝心の経済が金融政策に反応しにくくなった。1980年代後半に発生したバブルの崩壊である。

日銀は当初、バブルを抑え込む利上げを行ったが、不動産融資の総量規制が劇薬となり、地価や株価が急落。慌てて利下げに転じたが、銀行は多額の不良債権を抱え、新規貸し出しに慎重となった。利下げしても貸し出しは伸びず、経済の反応が鈍い「流動性の罠」に近い様相を呈し始めた。

皮肉にも、預金金利が完全自由化された翌年の1995年、公定歩合は0.5%に落ち込む。緩和効果は見込めないものの、それでも利下げしたのは、為替市場で急速な円高が生じたからだ。

超円高に屈し、0.5%まで利下げ

当時、日米は貿易摩擦で対立し、アメリカは貿易不均衡の是正でドル安・円高を志向。そうした中、メキシコの通貨危機が発生し、ドルは暴落。1995年4月に1ドル=80円を割り込む超円高となった。日銀は同月、公定歩合を1.75%から1%へ、そして9月に0.5%へと下げた。

ここで通貨体制における金融政策の位置付けを整理したい。

日本は「変動相場制」だ。この制度は、為替の自由変動を容認する一方、金融政策の独立性を尊重したものだ。言い換えると、為替の安定をあきらめる代わりに、金融政策の独立性を重視した(『国際金融のトリレンマ』)。

ただ、制度上の理屈はそうでも、輸出主導で成長した日本は円高恐怖症が根強い。1995年の超円高は、日銀への強烈な緩和圧力となり、否応なく利下げに追い込まれた。為替に隷属したのである。

この超円高に屈した利下げ以降、日銀はほとんどの期間、為替隷属の金融緩和を講じた。「流動性の罠」に近いと金融緩和の有効性はなきに等しいが、何度も生じた円高局面でゼロ金利や量的緩和、質的緩和などを行った。

1999年のゼロ金利以降の「非伝統的政策」の大半は円高対策だったといっても過言ではない。

ここまでをまとめると、1990年代前半から半ばに「普通の金融政策」を行いかけたが、バブル崩壊で効き目はなく、円高に隷属して独自の判断もできなくなった、と総括されよう。

2006年春に量的緩和を解除して金利政策に復帰するが、約2年後にはリーマン・ショックに見舞われ、再び非伝統的な領域に押し戻された。そして、今年になってやっと政策金利はプラスになり、「普通の金融政策」を行える体制となった。

ただし、前述したように日銀には「普通の金融政策」をまともに行った経験はない。さらに、これまた皮肉なことだが、再び為替に隷属しかねない様相を呈しつつある。

かつて隷属を強いたのは円高だったが、今回は円安である。

利上げは慎重に進めたいのに…

日銀は「賃金と物価の好循環」による物価2%の安定達成を目指し、慎重に利上げを進める構えだ。ところが、アメリカのインフレは根強く、連邦準備制度理事会(FRB)は高金利を当面、維持する公算が大きい。

なお超低金利の日本とアメリカとの金利差は大きく、外為市場では金利差を狙った投機的なドル買い・円売りが根強い。4月29日にはついに160円台まで円は急落。政府(財務省)は、公式には認めていないが、約9兆円もの大規模な為替介入に踏み切った。

日銀は独自の判断で金利正常化を進めたいだろうが、為替市場で急速に進む円安は、日銀の意思などお構いなく、「利上げ」催促を強める恐れがある。

為替介入は「相場のトレンドを変えることはできず、急激な動きを一時的に緩和する程度の力しかない」(日銀OB)という。日米の圧倒的な金利差がドル高・円安のトレンドを形成しているなら、FRBがすぐに利下げしそうにない以上、「日銀が利上げに動くしかない」(複数の大手邦銀)だろう。

そもそも160円台まで円が急落したのは、日銀が4月26日の金融政策決定会合で現状維持を決め、植田和男総裁の会見が「予想以上にハト的だった」(FX業者)ことがきっかけだ。

最近の円安進行を牽制するために「追加利上げに前向きな発言を行う」(同)と期待されたが、タカ派的な発言はなく、投機筋の円売りを誘発。160円台に急落する素地を作った。これを政府が為替介入で阻止したわけだが、「改めて円安が進むと、次は日銀の出番だろう」(外資系ファンド)という。

2カ月経たずに首相と会談

連休明けの5月7日、突如として岸田文雄首相と植田日銀総裁が会談した。会談後、植田総裁は「最近の円安について、日銀の政策運営上、十分に注視することを確認した」と明らかにした。

首相・総裁は、日銀がマイナス金利を解除した3月19日に会談したばかり。2カ月も経たずに会談したのは異例だ。おそらく、岸田政権として、植田総裁の会見で円安が加速した事態を憂慮し、金融政策での柔軟対応を求めた可能性がある。

日銀の「普通の金融政策」は着々と為替隷属に向かいつつあるように思われる。

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