◆金融所得の課税強化、どう思うか街で聞いてみたら…
大手証券会社の本社が集まる東京駅周辺。金融所得の課税強化の是非を街行く人に聞いてみた。 バスを待っていた茨城県日立市の無職女性(80)は「高所得の人ほど税負担が少なくなるのはあまりに不公平で矛盾してる」と憤る。自身は年金暮らし。「物価高で貯蓄を切り崩して暮らしているのに」3万9239円52銭で終値の史上最高値を更新した日経平均株価を示すモニター=2月、東京都中央区で(由木直子撮影)
札幌市の薬剤師・斎藤明子さん(45)も「5年以上株式投資をしているが、あくまで家計の足しにするため。格差をなくすことは必要で、超富裕層への課税はあってもいい」と前向きだ。 「高所得の投資家に社会への還元をしてほしい気持ちもあるが、平等を求めすぎて過度に課税を強化すると投資の意欲がそがれそう」と、慎重姿勢なのは愛知県田原市の農業・菅沼敏朗さん(72)。「投資家に理解が得られる方法を丁寧に議論すべきでは」 投資信託や外貨投資などを手広く行う会社員・宮井貴之さん(34)=東京都=は「NISA(少額投資非課税制度)の拡充でようやく株価が上がり、個人投資の機運が高まったのに冷や水を浴びせるような愚策」と反対し、「機関投資家に比べて個人投資家の数は少ない。課税による規制ではなく、投資を加速させる前向きな施策こそ必要」。◆税負担の聖域?「1億円の壁」
賛否は割れるが、そもそも、金融所得課税が問題視されるのはなぜか。背景に、所得が多いほど税負担率が下がる「1億円の壁」がある。 給与などにかかる所得税は、所得が多いほど税率が上がる累進課税だが、株式売却益などの金融所得への課税は一律20%。富裕層は金融所得の割合が多く、一定額を超えると税負担率が下がる。 国税庁の2022年の「申告所得税標本調査」では、税負担率は所得が上がるにつれて徐々に増え、5000万円以上1億円以下で26.3%に達するが、1億円を超えると平均22.5%に下がる。こうした税制度が、富裕層への優遇で不公平だと指摘されてきた。◆税率引き上げ、衆院選を控え与党は封印、野党の多くは前向き
衆院選の最中、主要政党はどう考えているのか。 自民党は、9月の総裁選で税率引き上げに前向きだった石破茂氏が新総裁、首相に就任した。ところが今月7日の衆院本会議では「現時点で具体的に検討することは考えていない」と、トーンダウン。衆院選公約にも盛り込まなかった。公明党も公約化していない。 野党の多くは、課税強化を訴える。立憲民主党は「当面は分離課税のまま超過累進税率を導入、中長期的に総合課税化」、日本維新の会は「総合課税化などの税制改革」。共産党は「将来的に総合課税を検討。分離課税が続く間は、高額所得者に30%以上の税率を適用」と掲げる。 国民民主党は、昨年末に党税制調査会が「段階的最低負担率の導入」の考えを示した。れいわ新選組は「金融資産課税の導入」、社民党は「累進課税の強化と法人税や金融課税の見直し」。参政党は「徹底的に減税を」とする。◆課税強化は市場にとって本当に悪影響なのか?
物価高が暮らしを直撃する一方、日経平均株価は今年2月、バブル期の水準を超え34年ぶりに史上最高値を更新した。その後も史上初の4万円台に突入するなど、一進一退はありつつも市場は総じて上昇基調にある。金融資産は富裕層に集中しているとされ、富める者がより富むことで、格差の拡大が懸念されている。 振り返れば岸田文雄前首相も2021年の自民党総裁選で金融所得課税の強化を主張したが、首相就任直後に株価は下落。投資家から「岸田ショック」と揶揄(やゆ)されると早々に封印した。新内閣発足後、初めての記者会見をする岸田文雄首相。金融所得課税強化について「考える必要がある」と答えたが、その後トーンダウン=2021年10月、首相官邸で(伊藤遼撮影)
経済官庁幹部は「アベノミクスの影響で市場は過熱し、株を持っているだけで労せずしてあぶく銭を得る状況だった。ここに課税して分配に回すことは格差是正の点で重要だった。市場の反応を見て早々に引っ込めた時点で『新しい資本主義』は終わった。いまも状況は変わらないが、政権は市場の反応を過剰に警戒する」と、課税強化が政治的にアンタッチャブルになっている状況を嘆く。 しかし、金融所得課税を強化すると本当に市場や投資家は悪影響を受けるのか。東京財団政策研究所の岡直樹氏は「少しくらい税率を上げても『貯蓄から投資へ』の流れを損なうことにはならない」とみる。 「投資を萎縮させ株価が下がる」との主張は反対論の代表格だ。これに対し、岡氏が今年8月の東京、名古屋の証券取引所の売買代金を確認すると、約7割は課税されない海外投資家だった。増税の影響を受ける可能性のある個人投資家は26%いたが、株式の売却益や配当などを非課税にするNISAが大幅に拡充された恩恵で「中間層はほとんど増税の影響は受けない」と分析する。 2014年に金融所得の税率を10%から20%に引き上げた直後に株価は下がったが、その後回復しており、「増税しても市場への影響は一時的なものにとどまる」と岡氏は述べる。◆「富裕層が海外に逃げ出す」は本当か?
「課税強化されると富裕層が海外に逃げる」との主張もある。だが、岡氏によると、今年7月の20カ国・地域(G20)財務相中央銀行総裁会議では、フランスの経済学者から「税逃れを目的に富裕層が海外移住する可能性はゼロではないが、高くもない」とするリポートを提出している。米ニューヨークの中心部で、富裕層の資産が増加し続けていることを批判するデモ参加者ら=2012年(長田弘己撮影)
岡氏は「コロナ対応などで財政を拡張したこともあり、各国では金融所得課税を強化して、富裕層に課税し、財政健全化を目指す動きがある」という。先のG20も、格差是正などを目的に富裕層への課税強化が初めて閣僚宣言に盛り込まれた。日本はこうした流れに立ち遅れているようにみえる。 ただ、野村総合研究所の木内登英氏は「所得が上がるにつれて実効税率が下がるのは問題」と指摘しつつも「税率を単に引き上げるだけでは、年金と金融資産の運用利回りだけで暮らしているような人の税率が上がって、所得の低い人が逆に首を絞められる可能性がある」と課税強化での問題解決に疑問を投げかける。 法政大大学院の白鳥浩教授(政治学)は「石破氏が自民党総裁選で金融所得課税を持ち出したのは、アベノミクスを継承し大規模財政出動を打ち出す高市早苗氏らとの差異化を図る意図があったのだろう。だが、選挙を前に言葉が独り歩きする『増税』は言い出しづらかった」と手のひら返しの経緯を推測する。 衆院選は各党が主張を戦わせる格好の舞台だが、今のところ論議は低調だ。白鳥氏は「与党の自民党が主張していないことが大きい。だが、悪化する日本の財政や格差是正の観点からも本来はもっと議論されるべき問題だ」と強調した。◆デスクメモ
世界一の大富豪イーロン・マスク氏が、アメリカ大統領選の激戦区で、有権者に毎日100万ドルを配るとぶち上げた。手法は脱法的。常識や規範の底が抜けていくのを感じる。膨大な資産にモノを言わせ、国や社会をハックする。富裕層を「成功者」と持ち上げて野放しにしていいものか。(岸) 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。