自民党総裁選でにわかに注目を浴びているのが「解雇規制」だ。「規制を見直す」と口火を切ったのは、小泉進次郎氏。しかし、リストラ推進策と受け止める人から批判が巻き起こった。旗色が悪くなったためか、最近はトーンダウンした。ともあれ、生活の安定を失う「解雇」という言葉に人々の心はざわつく。市井の声に耳を傾けつつ、あるべき日本の労働市場とは何かを考えた。(木原育子、森本智之)

自民党総裁選で訴える政策について語る小泉進次郎氏=9月6日、東京都千代田区で

◆「庶民はぼろぼろなのに…理想論ばっか」

 3連休明けの17日正午、東京・神田は昼食を求める働き手たちであふれた。  「どこ見てモノ言ってんだって感じですよ。大企業を利するだけじゃないですか」。製薬販売を営む中小企業で労務担当をしている次長(60)がほえた。  従業員は200人ほど。「今夏の賞与も昨年並みで、物価上昇で全体的には目減りする中、(転職しやすくする)人材の流動化は中小企業にとってかなり痛い。経済成長させたいならそこじゃないだろって」  3連休も休みなく働き、ようやく半休をもらい、帰宅中だった。「庶民はぼろぼろ。なのに世襲の小泉さんは理想論ばっか。きれいごとでメシは食えない」

◆「最初だけ威勢が良くて、ひよったのか」

 小泉氏は6日の出馬会見で最近の人手不足の対応や成長産業に人材移動を促すため、として「労働市場改革の本丸、解雇規制を見直す。来年法案提出する」とぶち上げた。だが、大企業が自由にリストラできるようになるとの印象が広がり、13日の民放番組では「緩和でも自由化でもない」と早くもトーンダウンした。

中小企業が多く集まる、東京・神田のビル街=東京都千代田区で、本社ヘリ「あさづる」から

 大手インフラ企業に勤める課長職の男性(47)は「小泉さんは最初だけ威勢良くて、でも結局、ひよったんじゃなかったでしたっけ」と話す。「流動化したら経済が良くなるって、そうとも言い切れない。そんな簡単な方程式で経済が良くなるなら誰も苦労しない」  大手食品卸売会社を定年になり、現在はアルバイトの三宅高義さん(75)は「ぼくの現役時代の頃は、会社側から解雇される不安は頭になかったし、思いっきり働けた」と振り返り、「今は世の中も不安定で、逆に『安定』というのが時代のキーワードになっているのではないか」と巡らす。

◆「家のローンまだある…会社にしがみつきます」

 すし店のメニューを5分以上眺めていたネイリストの女性(27)は「食べたいけど今月金欠で…」と切実な様子。解雇規制の見直し議論については「う〜ん…別に一生同じ店で働くわけじゃないし、いいんじゃないですか」とさらり。  メガバンクの管理職の男性(53)は「日本はもっと自由度を高めてもいい。必要な人材は必要な場所に行って稼がないと…」と扇子で自身に風を送りながら話す。実際、規制が見直されたらどうするか。「いやいや、ぼくは家のローンもまだあるし、ここまできたら、申し訳ないですが、しがみつきます」

◆「自分の言葉の先に庶民の顔が浮かんでいるのか」

 観光中のドイツ人のミヒャエルさん(47)は「日本の終身雇用はドイツでも有名。日本の勤勉さとマッチして、日本文化をつくってきた。日本が大事にしてきた文化が本当になくなるのか、注目したい」とにこっと笑った。

秋葉原の電気街(万世橋交差点)=東京都千代田区で

 神田の歓楽街を見守り、今月末に閉店する創業70年の礒見(いそみ)酒店の礒見隆行店主(54)は20年ほど前に酒類販売が全面自由化した時のことを振り返る。「競争が激しくなり、周辺の酒店もずいぶん少なくなった。政治は庶民の生活に直撃する。政治家は自身の言葉の先に私たちの顔が本当に浮かんでいるのだろうか」

◆日本の「解雇しやすさ」はOECD37カ国中11位

 解雇規制の見直し議論の背景にあるのが、「日本は規制が厳しすぎる」という考え方だ。本当なのか。  経済協力開発機構(OECD)が2019年、解雇の際の諸条件を国際比較した結果、日本の「正社員の解雇のしやすさ」は37カ国中11位だった。

自民党総裁選の所見発表演説会で演説する小泉進次郎元環境相=12日、東京・永田町の党本部で

 浜銀総研の遠藤裕基上席主任研究員は「OECD調査の通り、国際的にみれば日本の解雇規制は厳しいとは言えない」としつつ、「企業は実際には解雇しにくい状況にある」と説く。会社都合による整理解雇を行う際に求められる「4要件」が歯止めになっているためだ。4要件は解雇の必要性や合理性などで、法律ではなく、過去の判例を積み上げて確立された。

◆解雇回避の努力義務があるのは、企業に強力な人事権があるから

 中でも、小泉氏が今回見直しを訴えた「解雇回避の努力」を満たすのは企業にとっては難しいという。たとえば勤務先の工場が閉鎖になっても日本では他の仕事に異動させるなどの対応が求められる。  遠藤氏は「日本企業には強力な人事権があり、社員を自由に出向させたり配置転換できる。その代償として解雇を回避する努力義務が課せられている」と、4要件ができた背景に日本の雇用慣行があると指摘。「この状況で、解雇規制が緩和されれば、企業側の権限だけさらに強まる。労働者は企業の好き勝手に働かせられるのに、いざというときに雇用は守られず、すぐ首を切られることになる。フェアじゃない」

◆整理解雇をして成長産業に人が移る「データはない」

 小泉氏は、解雇規制の見直しで人材の流動性が高まり、労働市場が活性化するという論法を用いる。経営者団体も同じような主張を繰り返してきた。

大企業のリストラを巡っては「追い出し部屋」の存在も社会問題化し、訴訟に発展した=2013年、東京都内で

 しかし、労働問題に詳しい嶋崎量弁護士は「整理解雇によって成長産業に人が移るなんてデータはない。本当に魅力的な職場なら自分から転職するはずで、首を切りやすくしたいという本音を隠したいだけではないか。空論も良いところだ」と突き放す。

◆労働者派遣法を作ったときと同じような議論が

 脇田滋龍谷大名誉教授(労働法)も1985年の労働者派遣法の制定時と「類似の議論」と批判する。「この時まで、労働者の雇用モデルは定年まで働く常用雇用が前提で派遣労働は違法だった。それが『労働者の選択肢が増える』『経済が活性化する』と経営側が主張し、通訳など専門性の高い業務に限るとして派遣は解禁された」  その後対象はどんどん拡大し、「今ではごく一部の例外を除き、どんな業務でも派遣できるようになった」。2000年代以降、規制緩和を進めたのが小泉氏の父の純一郎元首相やブレーンの竹中平蔵氏だった。

解雇規制の緩和に反対しようと日本労働弁護団が開いた集会=2013年、東京都内で

 「その結果、派遣労働や有期雇用が増え、労働環境は悪化し、成長力も高まっていない。企業が労働者を安く使えるようになった結果、労働者本来の取り分を削る形で利益を得て、内部留保ばかりため込んで。あれは非正規労働者の涙のかたまりだ。不公正な非正規雇用賃金は抜本的に見直すべきだ」

◆転職で条件が上がる欧米…労働者自身が選べる仕組みを

 総裁選では、河野太郎デジタル担当相も、解雇時に金銭補償するルールの仕組みを訴えている。中小企業などでは、経営者の一存などによって、補償もなく解雇されるケースが少なくない。一定の合理性があるが、脇田氏は「金銭を払えば解雇できると企業側に悪用されかねない」と警戒し、労働市場活性化に向けた議論の視座を示す。

自民党総裁選の所見発表演説会で演説する河野太郎デジタル相=12日、東京・永田町の党本部で

 「日本で転職は確かに少ない。いったん辞めると中途採用になり、賃金が下がるから。労働市場の活性化を本当に実現したいなら、転職で条件が上がることが常識となっている欧米のように、労働者自身が転職を選択できる仕組みや環境をつくるべきだ。労働移動は使用者が首を切るから起こるのではない」

◆デスクメモ

 労働政策研究・研修機構が中小企業などの解雇事案を調べた「日本の雇用終了」が日本の一面を映す。有休を申し出たから解雇、妊娠したから解雇、態度が悪いから解雇といった事例がずらり。大企業とは異なる現実がある。まず政治家が取り組むべきは、働き手の安全網強化では。(岸) 

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