<都の100年企業>
 創業から101年の運送会社「豊多摩(とよたま)通運」(杉並区)は、電話機などの通信機器を中心に、美術品や鹿児島・種子島宇宙センターの地上設備の輸送も担ってきた。3代目の井上和英社長(73)は「荷物を担いで、汗かいて。地道に信頼、信用を得てきた先人の知恵を引き継いでいく」と語り、物流業界の激変を乗り越えて次の100年を目指す。(石川修巳)

今後の経営の在り方について話す井上和英社長(右)と泰志専務=杉並区で

◆馬に大八車の時代 新宿で創業

 創業は1923(大正12)年。井上社長の祖父、金六さんが新宿で、前身の「豊多摩運送店」を始めた。当時は馬に大八車を引かせて貨物を運ぶ時代。屋号は、新宿が東京府豊多摩郡だったことにちなんだという。

昭和元年ごろ、創業期を支えた社員たち=豊多摩通運提供

 戦前は鉄道輸送が中心で、2代目の父武次さんは新たな営業拠点として貨物輸送の中継地だった荻窪へ。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)のエンジンを開発した中島飛行機の工場が近く、試作機に使うエンジンを運んだことも。「夜中、音を立てず運ぶのに大変苦労したそうです」と井上社長。

◆梱包、出荷など業容拡大で成長

 現在の会社設立は51(昭和26)年。「黒電話」と呼ばれ、戦後の電話普及に貢献した卓上電話機の物流を請け負うようになったのもこの年だ。メーカー側のニーズをくみ取り、梱包(こんぽう)や出荷作業、倉庫保管も請け負って業容を広げてきた。  「父は働き者で、いつもアンテナを張り巡らせていた。『こうしたら、みんなに喜んでもらえるんじゃないか』って」  現在は東京と福島に2トン、4トンのトラック計15台を保有。主に精密機器の輸送を請け負ってきた実績から「うちの輸送能力はレベルが高い」と強みを語る。  しかし物流業界は今、運転手の時間外労働への上限規制による「2024年問題」などで、経営環境は厳しい。燃料高騰など輸送コストの負担が増しているのに、荷主が運賃見直しを渋るケースもある。

◆「次の100年へ」原点のトラック運送へ回帰

1951年、「豊多摩通運」設立当時の外観。荻窪を本社とし、運送免許を取得した=同社提供

 同社は1年かけて何度も荷主に交渉し、当面の運賃改定目標をクリアした。長距離、大型トラックをなくして残業を減らしたほか、50年請け負ってきた通信機器の梱包・出荷部門をメーカー側に返還し、本業のトラック運送に回帰した。  「『第二の創業期』と位置づけて、次の100年を目指す」と井上社長。荻窪駅前の倉庫跡地に建設中のマンションには、この地域で6歳から剣道に親しんできた「恩返し」として剣道場を設ける予定だ。  次代を担う次男の泰志専務(42)は「関東圏とか、もっと地域に特化した物流のあり方を模索しながら、働き方改革を進めたい」と話している。 

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