長野県を地盤とする八十二銀行と長野銀行が2026年1月に合併する。ライバルとして激しく競い合ってきた両行の統合に驚きの声が出たが、この半世紀の歴史を振り返ると協力関係を築いていた時代もあった。1県2行体制から1行体制になる同県金融の地殻変動を、関係者の証言や過去のインタビュー、両行の史料から読み解いた。
八十二長野銀行が発足へ 「小競り合いしている時でない」
「八十二だ、長野だとか言って、つまらない小競り合いをしている時ではないんですよ」。2024年4月1日、長野市内のホテルで開かれた2行合同の入社式で八十二銀行の松下正樹頭取は訴えた。長野銀行との経営統合の経緯を説明するなか、強調したのがこの一節だった。統合発表から1年半…記事を読む
信組から進化した長野相互銀行 裏には八十二銀行の協力
長野銀行の前身は、終戦による資金需要の高まりで1950年に設立された「長野県商工信用組合」にさかのぼる。60年代後半に金融機関の転換や合併に関する法整備が進むと、順調に業績を伸ばしてきた県商工信組は営業上の…記事を読む
東証1部に登った長野銀行、大株主から消えた八十二銀行
1989年2月、長野相互銀行が普通銀行に転換して長野銀行が誕生した。県内は「2行時代」に入ったが八十二銀行を頂点とした金融秩序に動きは…記事を読む
浮上した長野銀行「危機シナリオ」、動いた八十二銀行
2000年代終盤、長野銀行の苦境は深刻さを増していた。08年3月期の連結決算は39億円の最終赤字となった。地元のアルピコグループ(長野県松本市)が債務超過に陥り、債権放棄に追い込まれたためだ。アルピコの再建計画を…記事を読む
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