「はい」。日銀の植田和男総裁がこう答えた直後、為替市場での円安進行に拍車がかかった。一時1ドル=160円台と実に34年ぶりの円安水準に突入した。  植田総裁の「はい」は4月26日、日銀の金融政策決定会合後の記者会見で出た。「円安による基調的な物価への影響は無視できる範囲か」という質問の答えだった。  為替市場では事実上円安を容認したと受け取られ円売りの動きが加速した。  為替や株価、債券などを売り買いする金融市場は不思議な世界だ。例えば政府が公表した国内総生産(GDP)の数字が予測より上振れしたからといって株価が上がるわけではない。かつては円高になると輸出に影響が出ると連想され株価は下がったが、近年その法則は崩れつつある。  金融市場について確実に指摘できるのは、投資家の目的が市場機能を通じた金もうけであるという事実である。  もちろん投資家たちが自己責任で市場参加するのは構わない。問題は、彼らが起こす市場の混乱が投資とは無関係な人々の暮らしに悪影響を及ぼすという点だ。  急激な円安は物価を押し上げ、株価の急落は企業経営者の心理を冷やし雇用や賃金の抑制につながりかねない。  旧知のエコノミストに「投資家の動きは雨雲に似ている」と言われたことがある。金融市場の上空を浮遊する雨雲が投機の材料を見つけた途端に集中豪雨を浴びせ、混乱に乗じて大もうけするというイメージである。  日銀と財務省の役割は主要国間で連携しながら市場の動向に目を光らせ、混乱の芽を事前に摘むことだ。雨雲レーダーのように観測し豪雨の気配を察知すれば直ちに警告を発する役割が求められる。  その観点から言えば、植田総裁の発言は勇み足と指摘せざるを得ない。短時間とはいえ「雨雲」にもうけの材料を与えてしまった。  植田総裁は5月に入り、円安について「過去と比べて物価に影響を及ぼしやすくなっている」と軌道修正した。やはり「はい」は言い過ぎだったと思ったのではないか。  植田総裁が本格的な利上げに踏み切れないのは、アベノミクスの「第一の矢」であった大規模な金融緩和の後始末をしているためだ。  日銀が市場に大量の資金を流し続けた結果、簡単に資金を手に入れられる環境が常態化して企業体質がぜい弱になったのである。植田総裁は利上げに転じれば弱った企業社会に打撃を与え、景気全体の足を引っ張りかねないと考えているのだろう。ただ、ぬるま湯につかった多くの大企業は好決算を連発している。  植田総裁に質問がある。そろそろ一部の大企業や投資家だけが潤い、大半の国民が物価高に苦しむ構図にストップをかける時期ではないでしょうか。総裁にはぜひ、「はい」と答えてもらいたい。 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。